無能な統率者
最初に断っておくのは、この考えはとってもマイナーで、もしかすると私だけに当てあまる考え方なのかもしれない、ということだ。
リーダーの能力について。その能力が最も試されるの力とは。
企画の立案や発送の豊かさか。大勢の人の能力を見極めて、適材適所に配置し、仕切る能力なのか。いや、違う、それは、企画が軌道に乗り、集大成を成し、プロジェクトが終盤を迎えるに連れて問われてくるのである。
さて、リーダーには、その役割上の理由からプロジェクトの規模や進行具合が進むに連れて大きなストレスがかかる傾向がある。もちろん、中にはそんなストレスなど意識せず(感じず)に、最後まで見事に仕事をやり遂げてしまう人もいるが、それは、天性のリーダーの才能を持っている者か、通常の感覚を持ち合わせていない者の話なので、ここでは取り上げない。
一般的な人間は、過剰なストレスがかかると、次第におかしくなっていく。その人が普段持っている独自の持ち味や、冷静さが失われるのだ。ここで「私だった人間なんだから、それは仕方がない」と思ってしまう人は、リーダーの素質、もとい資格がない。リーダーが人間なのは当たり前の話だ。だが、人間にも色々なタイプがあることを理解して頂きたい(当たり前の話だが、極例あげると、5歳の子供と50歳の大人は、生物学的分類上は同じ人間でも、社会的役割や能力によって分類するとまったく違う生き物と言っても過言ではないのだ)。
『リーダーとしての素質がない者』は、プロジェクト終盤にかかるプレッシャーとストレスから、判断力が著しく低下してしまう。普段のその人からは想像もつかない突飛なことを言い出して周囲を混乱させたり、非常識な行動をとるようになるのだ。一方で、プロジェクトに対する意気込みや歩ポテンシャルが最高潮に達しており、やる気と気迫だけは十分にある。そのため、そのリーダーはワンマンで独裁を行うようになる。リーダーに従えている者たちの全員がリーダーの狂気に気づいているのだが、しかし、その頃にはリーダーは他人の話に耳を貸さない状態になっており、物事を冷静に考えることなく、頭ごなしにすべてを否定し、自分のルールを優先して行動に移そうとする。結果として、プロジェクト全体の成功率は、微分すればマイナスの状態に傾くのだ。無能なリーダーのために、ときにはプロジェクトのすべてが台無しになることだってあり得るというわけだ。
驚くべきことに、このような人間は決して世の中に少なくない。根拠は不十分なのだが、私の経験上ではそういう奴こそ率先してリーダーをやりたがる傾向にあると思う。では、もう1つリーダーの無能さが原因となり、プロジェクトが台無しとなる例をあげてみよう。
プロジェクトのメンバーのすべてが無能ということは、滅多にない。
とても冷静な思考をして、自己の価値観や既成概念意囚われることなく、自己評価を客観的に行える優秀は人物は、大きな声を出して全体の統制に必死になっているリーダーの影で、単なる労働者として、心の中で「無茶なこと言っているなぁ」など、一人つぶやきながら、ひらすらその指示に徹している。そのようなリーダーの下では、実のある話し合いや理論を展開してするのは不可能に等しく、フィルタがかかったレンズのように、偏った価値観に翻弄されているメンバーやマジョリティを説得し、導こうとする正しい行為は、この特殊環境において行為自体がすでに不毛であることを、彼ら優秀な人物は経験から学習しているからだ。
この場合のプロジェクトは、初期状態の方向性が誤った方向に傾いていたため、最後まで当初の計画通りに進行することはあり得ない。終盤に連れて多くの問題が発生し、それを解決するためのその場しのぎの応急処置が積み重ねられ、そしてプロジェクトのいたるところで矛盾が生じるようになる。リーダーとその部下たちは、そういった局面に直面して、やっと冷静な思考をはじめるのだが、その頃には、もうすべての物事を復元してはじめからやり直すのは事実上不可能な、手遅れの段階に陥っているため、彼らはそのまま「時間のなさ」を理由に、当初の計画からさまざまなものを妥協して、突貫工事のように物事を推し進め、そして、時間ギリギリになんとか仕事を間に合わせようとする。そんな適当なやっつけ仕事が外部から高く評価されることはないのだが、仕事を終わらせた直後の彼らは、精神がとてもハイになっているため、そんなことには到底気づかず、気づいていたとしても、他人の評価はトリビアルのものだと勝手に思い込むようになる。「私たちはこんな問題が起こったのに本当によく頑張ったと思う」など、笑ってしまうような勘違いな発言を、口々に言い合う。リーダーもそういう部下を評価し、「よくやった」と褒めるのだ。そうやって、適当な仕事を何度も繰り返し、最終的にはそういった仕事の仕方をして当然だと思うようになり、彼らは限りなく無能な、信頼のできない人物に近づくのだ。
2つ目の例は、笑い事ではない。なぜなら、この世の中は、そういうようなマジョリティによって構成され、支配されているからだ。
この記事の冒頭に、私は何気なく「適材適所」という言葉を使ったが、このような言葉が言語に存在していること自体、世の中がいかに「不適材不適所」に満ち溢れているかを象徴しているではないかと思う。だから、たまに適材適所が見受けられた際に人々が高い関心と示すのでは、と。
つまり、とっても優秀な人物がプロジェクトの主導権の握っていることは、とっても少ないのである。
話は飛躍するが、組織だって、これと同じことが言えるのではないか。
私はリストラという語句を、re・struc・ture (再構成)という意味で使うが、つまり、ある組織がリストラを行っていく中で、必ずしも強い部署が生き残るわけではない、ということである。むしろ、リストラの過程で優秀な部署が、声だけが大きい、実力に伴わない政治的権力を持ち合わせる組織の間に挟まれて埋もれていくことが、実際に、頻繁に起こっている。
予算関係ではこの現象が顕著に現れる。組織の予算決議案に目を通すと、たまに聞いたことの無い(業績をあげたことのない)部署が、他より突出して予算をとっている、そんなパターンに遭遇する。多くの場合、その書類は単なるミスプリなんかではなく、前述した「不適材不適所」が行われてた結果であり、本当に予算を必要としている、実力のある部署から減額された予算が、単に勢いだけがある、実のない部署に用いられているわけである。
こうやって、組織は弱体化し、組織としての本質を見失い、崩壊していくのだ。無能なリーダーがプロジェクトを無に帰するように。
昨日、2台並べて使っていたコンピュータのディスプレイが、1台壊れてしまった。突然のことだったが、今までとてもよく働いてくれたので、今も撤去せずに、そのままにしてある。
コンピュータは人間が与えた命令に、忠実に正確に従ってくれる道具だが、さて、人間でこれだけ働ける人が、世の中にどれぐらいいるのだろうか。コンピュータの相手をしているとつくづく考えさせられるが、まだこの命題の結論は出ていない。少なくとも、そういった能力のある人間は、コンピュータの数よりは確かだし、また、そういった人間が世間で私たちの目の前に現れることは、滅多にないと思っていいと思う。また、そういう人がリーダーをやっている事例は、ほぼないと考えて間違いないと思う。
世の中、無能が多すぎるのだ。この記事を書いている者も、言うまでもなく、そんな無能な群衆の1人である。
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