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今日の一言

忙しいというのはとても恥ずかしい状態だ。そんなこと人に威張れることですか?

2006年7月24日(月曜日)

感想文

カテゴリー: - etupirka @ 23時25分51秒

感想文というもの書かせる行為に意味はない。また、芸能人の私生活に何か騒動が起こったたび、テレビの記者が感想を求めるシーンを目にするが、これも意味がない。かつての離婚会見で、記者の質問に「すっきりしました」と答えた者がいただろうか。

すべての感想に価値がないわけではない。では、なぜ私は意味がない、無駄だと感じているのか。この問いの答えは、万人に対して当てはまるような感想に意味があるのか、問う行為自体の意義は何か。ということに帰結する。

上記の内容は以前に書いた「法則」という記事に矛盾しているかもしれない。私は矛盾が嫌いではないが、「法則」というのは、具体的事実を元に、高度に抽象化したもののことを指す。テレビのアナウンサーの口頭質問に対しての上辺だけの回答や、学生が考えるような「〜がおもしろかった」「〜をみたときに○○と思った」「私は〜というようにがんばりたい」といった些末ものとは一線を画する。

それらに対する問いは、あらかた興味本位の好奇心の欲するままに問われたものが多い。そういうものは、すべてゴミだと思って構わない。問うているものの真実を追究する姿勢が感じられないからだ。

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大学入試でも、学校独自の試験で感想文を課すところが増えてきた。小論文というらしいが、一般的な学術論文とは異なるもので、指定された記事を読んで、それについて字数制限以内で感想を述べるだけだ。
聞いた話によると、卒業論文等、学生の書く学術論文は、評価の半分以上は文章の構成力でつけるという。中身についての評価は、全体の4分の1にも満たないそうだ。これは、論文の場合、書いたものが一流の研究者であればあるほど、その先端分野ではその人が研究の第一人者となっており、細かいことについては、その人以外は誰も知らない、わからない、ということも理由にあげられるのだろうが、社会で求められている能力は、世界で新たな発見をするよりも、文章構成力の方がはるかに需要が高いというわけだ。教官はそこをみている。
きっと、試験での小論文もそれに近い位置づけなのだろう。学校で年に数回実施される定期考査を連想させる、非常につまらないシステムである。与えられた課題(範囲)に対して、限られた時間で努力をさせて、問われた内容についてわかることを答えさせる。両者に違いはない。

別に私はこの程度のことで腹を立てているわけではない。世の中はこのようにくだらないもので溢れているのだから。


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