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あれ、打ち間違ってる?

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2007年12月18日(火曜日)

あなたのおじいちゃん、おばあちゃんmixiに招待して、最高の親孝行をしよう!

カテゴリー: - etupirka @ 16時24分09秒

何かと親不孝者ばかりが無理矢理クローズアップされて報道される現代だが、こんなときはmixiを使い史上最高の親孝行をしよう。

mixiといえば、各種のwebサービスの中でも輪をかけて生温い空気を保有している。携帯ユーザーが多いため、検索が出来ない人でも安心して使える。そんなサービス*1である。
ネットという世界は人の心のブラックな面が強調されがちだが、危険な発言や、罵倒に使われる2ちゃん用語やネットスラングなどもmixiの中ではあまり見ることはない。会員制というシステムが人々に自制心を与える、というのはmixiクローンであるOpenPNE作者がSNSをつくった動機だった。こんな安全なインターネッツはあまり類を見ない。なんたって、ゴキブリ一匹や二匹をフライヤーで揚げたくらいで盛大に盛り上がるようなコミュニティである。

また、どういう理由か「○○高校○○期生」「○○中学校」「○○小学校」など、出身校のユーザで構成されたコミュニティも多い。実際はリアルに同級生に会ってもお茶をするわけでも、挨拶をするわけでもない人間が、mixiでは何が嬉しいのか進んで群れたがっているのだから驚きだ。
自分の出身地や母校を懐かしむだなんて、これはもう若者向けというよりも、子供やお年寄りの対して優しいサービスとしか思えないが、しかし実体はそうではない。

現在のmixiは20代、30代ユーザーが最も多い比率を占めているコミュニティだ。なんと老人の比率は異常に少ない。せっかく老人向けの空気が日々着々と構築されている中、本物の老人があまり参加していないのは何とも勿体ないばかりである。しかし、これは20代/30代がおじいちゃん/おばんちゃん孝行を出来る最後の機会(チャンス!)だと考えられる。
ここに私は1つの提案をしたい。20代、30代が盛り上げてつくったサービスに、おじいちゃん/おばあちゃんを招待(この招待という機能がこれ以上に素晴らしい意味で使われたことが過去にあっただろうか)してあげよう。そう、これぞまさに、最高の親孝行ではないか!

60代以降のmixi人口が増えれば、当然コミュニティや日記の質も異なってくるだろう。あなたの力でこれからつくられる、未来のmixiを以下に考察してみよう。
まず、健康系のコミュニティには「更年期障害が懐かしい」「嫁の漢字がわからない」「孫の名前を提案したら却下された」などというトピックが乱立し、日記には「五十肩なんて今考えればたいしたことなかった」「同窓会に行ったら自分以外みんな他界していた」などの爆笑エピソードが書きつづられることが予想される。

あなたの新着アルバム、動画には「孫の写真(何が映っているかさっぱりわからない)」や「孫娘の動画(ものすごい手ぶれしている)」が並ぶかもしれない。
音楽としてお経のレビューが充実する日もそう遠くないはずだ。近所の老人会のコミュが立てば、イベントには「ゲートボール大会」「温泉旅行」などの企画がどんどん立ち上げられ、老人ホームや介護施設の名前が時つめで批判されるようになれば、自ずと福祉のサービスの向上も望める。

こうやって考えれば考えるほど、mixiは老人向けのサービスに思えてくるだろう。
しかし、mixiの素晴らしさはこれだけではない。最大の利点はボケ防止になるということだ!

老人を1人で家においておくとボケてしまうとはよく言うが、mixiをやらせておけば、絶えずマイミクの日記を読まなければならない、コメントをしなければならない、マイミクのマイミクの愛想良くしなければならないと、やることがいっぱいあってボケる暇がない。
参加したコミュニティでU70オフや、U80が開催されれば、友達も増え、素晴らしいmixiライフ、素晴らしい老人ライフが実現するだろう。

団塊の世代が疎遠になった友人との縁つなぎに年賀状を利用しているというニュースもあがっているが、年賀状にmixiのURLを印刷(手書きだと間違えそうなので、ここはあなたが代筆してあげるべきである)し、1度マイミクになってしまえば、縁が切れてしまう、縁があるのに名前や存在を忘却していまうという事態もこれからはあり得ないのだ。
また、昔の友達と会うことで記憶が活性化されるメリットも見逃せない。たとえ何も活性化されなくても、自分が思い出せないことを相手がどんどん自分のことを思い出してしまう、というシュチュエーションに慣れさせることで、たとえボケても心配がいらない、ボケたらこう対応すればいい、という良いトレーニングにもなり得る。寝たきりになっても携帯から利用出来る、という点だって見逃せないぞ!

やることが無いばかりに孫や子供に過剰な世話を焼き、結果的に嫌われてしまっている年寄りは少なくない。孫に相手にされずお金だけ絞りとられるおばあちゃん。実の娘から無視されるおじいちゃん。私はそういうご老人を見るたびに胸がずきずきと痛み、この世の中の不合理さに腹を立ててきたのだ。
さぁ、あなたの大切な親御さんを、おじいちゃんおばあちゃんを、どんどんmixiに招待しよう!mixiで最高の老後の生活をプレゼントしよう!そしてジジババの暇つぶし相手から開放されよう!!

*1 (笑)


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2007年12月16日(日曜日)

メンヘラについての考察および利用方法

カテゴリー: - etupirka @ 06時50分23秒

この世界には「メンヘラ」というクラスタが存在します。ここでは便宜的に2つに分けて考えることにしましょう。一時的なメンヘラ、そして恒久的なメンヘラです。

前者を見つけたあなたはとってもラッキィ!その人は失恋をしたのか受験に失敗したのか失業したのか知りませんが、至って普通の人間がたまたま弱っているだけという、最高のカモに遭遇出来たのは、幸運ないし、悪運強いとしか形容しがいがありません。
優しく思わせぶりな言葉をかけ、うまく付けいればタダでウレシイ思いが出来たり、壺や絵がじゃんじゃん売れるでしょう。

一方、後者は地雷です。その人はもうどうしようもない人です。「いや、私/俺だけは違う。私/俺はこいつを目覚めさせてやるんだ、本当のこいつに愛を教えてやるんだ」なんて考えた異性が過去に年の数ほどいて、結果は見ての通りすべて挫折に終わっています。賢明なあなたなら放っておくのが無難です。
また、前者についても、使い捨てるに留めよう考えれば大変オイシイ存在ですが、いつまでも続けようと思えば、それはあなたの人生を蝕むことになりかねません。あなたがその人のメンヘラの素質を育てることになるからです。*1

*1 相手がメンヘラになろうがどうなろうが、後のことは別にどうでも良いですけど、万一、正常な神経を取り戻した後に訴えでも起こされたらスムーズに次の遊びに移行出来なくなるでしょう。
未成年ならなおさらです。向こうの親があなたと同年代だったりしたらそれだけでお互い気まずいし、ガキ1人満足に育てられない奴に偉そうな説教の1つでも垂れられるなんて噴飯物ですが、あまり人前で笑い話に出来ない点でストレスが溜まるのは目に見えています。

さて、一時的なメンヘラと恒久的なメンヘラを見分けるのが難しいと思われるかもしれませんが、そんなのは慣れれば簡単です。最大の違いはプライドの差異にあるでしょう。
注意深く見ていると、前者は自分がメンヘラになっていることを心から恥じています。後者は口では同じことを言いますが、感覚が麻痺しきっているので実際のところ何も感じていません。前者はもともと人一倍高かった鼻をへし折られ、プライドが傷つけられて一時的なメンヘラになっている、という場合が想定されますので、この見分け方はかなり有用です。

ここまで読んで「フヒヒヒ、ビッチから一滴残らず甘い汁を搾り取ってやる」と思ったあなた。そう、あなたです。あなたは紛れもなくメンヘラ状態にあります。
残念なお知らせをしなければなりませんが、たとえどんな甘い汁が用意されていたとしても、メンヘラ状態の人間に近づこうとする人間は、ターゲットよりも重度なメンヘラ状態にあるのです。

一般常識に照らし合わせて、少女マンガでも携帯小説でもないのに、ちょっと頭のおかしい奴に近づいて何とかしてやろう、何かを得てやろう、なんて考えるあなたの精神は正常とは言い難いです。いえ、異常と断言できます。
あなたは過去に辛い経験がありますか?好きな異性に相手にされず、逆恨みでもしていますか?心許せる友達やリアルな友達があまりいないのですか?両親に対する感情にコンプレックスを抱いていますか?

特に自分よりも10も20も年下のメンヘラー相手に私利私欲をむさぼろうなんて考えたあなた、末期です。
年下というのはたいがい無知でバカですから、利口なあなたなら、そのままグレーゾーンを渡り歩き続け、一生分オイシイ思いをし続けられるかもしれません。しかし、その間、あなたの神経は常に腐敗し、あなたのメンタリティーを蝕み続けます。そのまま放置して最後に出来上がるのは人間のクズがゴミかウジです。

メンヘラに出会っても、必ず一定の間隔を保つようにすること。今あなたのアドレス帳にメンヘラがいるのなら、それもすぐに忘れましょう。利用しよう、なんて幻想は捨てることです。冷静に思い返せば、あなたは相手のメンヘラの手の中で思うように動かされ、利用されているだけなのですから。相手なんて誰でもいい、なんて思ってるのは、一方的に自分だけとでも思いましたか?ほんとバカですね。
あなたが恒久的なメンヘラの最終形態となり、新聞・テレビ・2ちゃんねるに載ってしまうことがないよう心からお祈り申し上げます。メリィ・クリスマス!


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2007年12月6日(木曜日)

自分が立てたトピックに、1ヶ月も経ってから返事を書きに来た人へ

カテゴリー: - etupirka @ 20時41分04秒

忘れることが目的のチラシの裏ならtwitterにでもポストしろ。

まさかまさか、何度も、何ヶ月も、ずぅ〜っとダラダラ相手してくれる奴がいると思ってる?
返事なんてろくに読みもしなかったくせに、しかも何事もなかったかのように新しい質問を書くのか。お前のやってることは嫌がらせ行為だ。

もう無駄なトピック立てて士気を下げるのはやめてくれ。
お前みたいな奴が増えたら、もう誰も返事なんて書きたくなくなるんだよ。悪循環の始まりだ。

この日本語通じません?
通じないんじゃなくて、真剣に読もうとしていないだけでしょう?

あんたは、自分自身がこんな簡単な理屈も理解しようとしないから、誰もあなたのことを理解してやろうと思わず、それが原因で悩んでいるんじゃないんですか?
「誰もわかってくれません」って、逆恨みもいいところ。あんた自身がやってること考えりゃそれで当たり前だから。

他人に甘えるのもいいかげんにしろ。
いいから、落ち着いて、10回でも100回でも、これがわかるまで音読するんだ。

ほら、イライラしながら書いたから、推敲したときに縦読みじゃなくなったじゃないか。
もう全部おまえのせいだからな。 覚えておけよ! お母さんに言いつけてやる!


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2007年12月5日(水曜日)

タグクラウドが嫌いだから、ひっ、一言くらい言ってもいいでしょ///

カテゴリー: - etupirka @ 21時02分09秒

タグクラウドが大っ嫌い。はじめて見たときは「なんだこの新手のSEOスパムは!」と、今考えると笑ってしまうような感想を持ち、それがあるページは無条件でパスして見ないようにしていた。
そうこうしているうちに、気づけばメジャなーなサービスでは必ずこの「タグ」という概念が用いられている。テクノラティについてはもちろん知っていたけれど、調べれば、wordpressにもカテゴリを捨ててタグを導入するプラグインがつくられていた。それもかなり昔からだ。

今年の夏、ある自分のサイトではじめて「タグ」というのを導入した。忌々しい思いをしながらもスタイルシートに手を入れ、タグクラウドのスペースをとり、すべてのページにタグ付けをしていく。
そこはwikiだったので、更新のたびに頻繁にタグを付け直さなければならない。これは非常にめんどくさいけれど、でも、それさえ除けばなかなか便利なものだと関心している。それからタグのことをちょっと見直した。

タグクラウドを導入するメリットは、閲覧者と執筆者の両方にある。ここらへんの真面目な説明は他のサイトに譲るとして、私が気に入った(というか、自分が理解できた)点だけ、情報の共有よりも情報の整理・後の活用のしやすさに重きを置いたメモを残す。
「カテゴリ」は、「タグ」の種類と比較して、どうしても数が少なくなりがちである。そもそも、元から用意しているものを新しいエントリに適用していくのだから、自由度が非常に低い。

エントリが増え、カテゴリが増えていくと、カテゴリに階層が出来上がる。親カテゴリがあり、子カテゴリがあり、さらにその下にはまたカテゴリがある。
そうすると次第に執筆者の整理能力が問われるようになる。肥大化したカテゴリは閲覧者を迷子にする。

ブログやwikiなどは、最初に書きたいことがあってサイトを立ち上げているわけではないから、カテゴリで収納しきれるような統制のとれた内容ばかりがエントリされるわけではない。
カテゴリは長く続けるには無理があるのだ。このサイトみたいにふざけたカテゴリ名ばかりを用意しない限り、カテゴリが持つ収納能力は次第に鈍化していくのである。

一方で、タグは1つのエントリに対して気軽にいくつも適応することができる。見ている方も見ている方で、文章を読みながら読みながらタグをブクマにどんどん追加しながら読める。
タグはタグで、カテゴリとはまた違った種類の整理能力が必要だけれど、後から訂正をかけるのは、カテゴリのときより楽だと思う。また、自由度はカテゴリのときと比較にならないほど高い。

本の整理に喩えるなら、最初に大きな本棚を買って整理するのと、小さな棚を少しずつ買い足していくときの違いなのかもしれない。
また、後者の難しい部分は、本棚を買い足す人間が、同じサイズや色、デザインの棚を買い足すようにしなければ意味がない、というところにある。1人でもずれたことをしていると、全体の持つ有用性が薄れるのだ。

これは私が知っている中で最も致命的なタグの欠点だ。タグの有用性を守るためには、タグ付けには暗黙のルールが必要となる。
もし脈絡も捉えず自動でタグ付けを行う信じられない人間がいたら、もう最悪。すべてが台無しなのである。そもそもタグは個人の感覚で自由につけられるから良いのであって、大勢で使うには不向きであるという意味かもしれないが、個人で使う分にも、日本語の揺らぎを既存のタグに合わせ自動訂正するなど、形態素解析は必須だろう。それも出来るだけ高度で無ければ、人間の記憶に補助にはならない。

タグクラウドは、不揃いの大きさの文字が並ぶ(どうかしたら、それに色をつける奴までいる)不格好なものしかつくれないという酷い勘違いをしていたが、夏に手を入れたとき、そんなことはないことを知った。
私はタグの魅力にとりつかれていたが、それはタグがもつナビゲーションとしての機能を買っていたからだ。100のエントリを持つブログがあったとして、後からそれを全部見るやつなんていないのだ。見たいところだけをピンポイントで見られる、という点で、タグはナビゲーションとしても価値を持つことが出来る。それからは、タグを使っているけれど、クラウドは同じ文字の大きさで並べる、というシステムが好きになる。

しかし、なぜ多くの人があんな不格好なものを好んで導入しようとするのか。これだけは今でも理解できない。
タグのあるブログをみるたび、ここの管理人は「便利さをとる」ためにかっこ悪さを甘んじたのか。なんて男気に溢れているのだ!あんたは偉いぞ!と一人感情を高ぶらせていた時期があった。俺の涙を返してくれ、と思う。

タグクラウドが表すのは、そのサービスを編集している人、あるいは人たちの趣味や傾向、そしてサービスの趣旨だ。
もし釣り好きの奴がタグ付けをすれば、クラウドには釣具や魚の名前が並ぶだろう。他の人間がそこからわかる情報は、そいつが好きなルアーメーカーと、好きな魚くらいだろう。

十分な情報ではないか、と思うかもしれないが、実情と照らし合わせてみて欲しい。個人の趣味に興味があったり、その人の思想に触れたくてネットを覗いている奴なんてほとんどいない。閲覧者はコンテンツの内容に興味がある。執筆者がよほどの神あるいは友達、知人、マイミク、マイミクのマイミクでもない限り、コンテンツから人間に閲覧者の興味が移ることはない。
そう考える私からは、タグクラウドは一部のお調子者がクリスマスの時期に自分の家飾る、趣味の悪い電飾やサンタクロースの置物のように見える。そこには知りたくもない個人の趣味が全面に押し出されている。非常に押しつけがましく、価値も感じられず、ただ悪趣味なだけ。目にするたび望みもしないのにプライベートな行為を見せつけるときに似た嫌悪感を覚える。

イトミミズが釣りのエサとして最適である、という情報は有用であるが、そいつがイトミミズがどれほど大好きかどうかなんて、誰も知りたくはない。
Googleがタグクラウドに目を付け、各サイトのタグの数と内容を評価し検索結果をつくりだすアルゴリズムでも実装しない限り、タグクラウドにはあまり意味はないのだ。しかし、はじめて見たページに「イトミミズ」なんて文字が太字のゴシックで仰々しく書かれていたら、それは実に滑稽だろう。それくらいの価値は認めても良い。

上記は、よほど大勢の人間が利用しているサービスではその限りではない。
そんなサービスでタグ付けがどれほどの意味を持つか、という疑問は残るのは前述の本棚の例の通りである。自由度の問題だ。

このブログもカテゴリを何十もつくり、タグを何個もつけられるのだけれど、何度か新しいサービスにタグクラウドを導入するに連れ、タグとカテゴリの概念は非常に漸近していることに気づいた。
データベースのテーブル設計の差異はあれど、違うのは人間が持つ感覚だけで、やっていることはほぼ一緒だ。数ヶ月前まであそこまでタグを忌み嫌っていたことを、微笑ましく思える。

昨日、Firefox3のブックマークにもタグが使えないか考えてみた。Firefox2には大いに不満があったので、今までブックマークをまともに使わず、よく行くサイトのURLを覚えるようにしているだけだった。
ここに来てはじめてゆっくりブックマーク機能に触ってみると、キーワードというのがあり、これをタグのようにして使えるようだ。

でも5分も触らずに嫌になってしまった。ブラウザが搭載する機能のなのに、ブラウザからの操作性が悪い。これはいっそのこと捨てることにして、はじめてソーシャルブックマークに手を付ける。
少し前からこれまた違うサイトで他人向けにソーシャルブックマークを提供していたけれど、自分が本格的に利用しようと思ったのははじめてだ。色々なサービスがあるが、ツールバーのインストールされたブラウザからの操作性の高い、Googleブックマークを利用することにする。

このサービスはタグ付けが出来て、タグごとに検索が出来る。クラウドはあるけれど、それらはただ大人しくアルファベット順番に並んでいるだけ。私はこの手のサービスが好きだ。不満があるとしたら、ブックマークを追加するとき、必ずタグを入力するような前提でツールバーがつくられていないことだけだ。
他人に公開するオプションがないのも良い。そういうのがあると、ろくに見もしない記事を永遠とブックマークして歩く奴が生まれるからだ。もしかすると、Googleと私のタグの価値観は似ているのかもしれない(オチです)。


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2007年12月1日(土曜日)

ある病気のサイトから学んだこと、WWWに公開する意義

カテゴリー: - etupirka @ 10時51分39秒

リンク禁止について目次)を読み、わざわざこんなに多くの労力と言葉を尽くされたsci98さんに、同じくリンクを当然の権利だと考える人間として感服する。
これに触発されたわけではないし、内容はまったく関係ないけれど、1年前から感じている疑問を思い出したので、それを書こう。

1年前初めて、ネットで病気についての記録を書き残している人たちに遭遇した。
誤解のないように書くが、私はこんな病気です!あの病気かもしれないし、こっちの病気の疑いもあります!と「病気の宝石箱やぁ〜」と自慢する人はあまり見かけない。

しかし、上記の考えは厳密には誤りである。それについては後述するが、大多数の人は、自分のために自分の記録を残している。人にわかって欲しいという気持ちが、それをチラシの裏に書かず、WWWに公開した動機となっている。
確かに、そういう用途ではブログは向いているかもしれない。当初は「なるほどな」と読み進めていたが、どうもマイナーな世界なせいか、後になって理解できない価値観が蔓延していることに気づく。

もっとも困ったのが、あるサイトの特定のページにリンクしたときだった。そのサイトは単に自身の経験を書きつづっただけではなく、人の役に立つように形式でまとめられたものだ。
だからリンクしたのだけれど、すぐにメールで物言いがついた。そのページを管理している人が「リンクするのはやめてくれ、不愉快だ」と言って来たのである。

そこの管理人とはそこそこの交流があった。でも、最初は何が言いたいのかよくわからなかった。
返事を送ってみると、「私は嫌だ。みんなも嫌だと思う。だからやめてくれ」という主張上が、「扱っている対象がデリケートだから」という理由で説明された。

同時は何度このメールを読み返しても、「嫌だって言ったら嫌なの!」という意味にしか読めなかった。 *1
でも、その人がWWWに情報を公開している理由が、そのときやっと理解できた。

何の対価もなく、医療機関よりも多くの情報を公開して凄いなぁ、と思うのは、当時も今も変わりはない。
変わったのは「なぜ公開しているのだろう?」という理由についての解釈だけ。当時は、1人でも多くの人に知名度の低い病気について知って欲しく、情報を公開しているのだと思っていた。でも実際は、何も考えていなかった。

なるほど、と苦笑し、続けてお叱りを受けたときも、「だからその年になって結婚出来ないんだ!」など揚げ足もとらず、謝った。
この問題は私が全面的に悪い。何か目的があって行動している人間は、何も考えずただ毎日を消化している人間よりも圧倒的に少ない。それについて失念していた自分は、自分の価値観を他人に押しつける嫌な人間に感じられたと思う。

その人のブログを読んでいると検索エンジン対策・最適化の文字が目につく。アクセスアップのため・・・と書かれているページに書かれてあるページにリンクがされている。「少しでも多くの人に」という言葉も目につく。
最初からこの「多くの人」についての解釈が違っていたのだ。「多くの人」というのは、不特定多数という意味ではなく、自分について好意的な人間が1人でも多く、という意味だったのだ。*2

ルーズベネディクトというアメリカ人は、60年前に書いた本の中で「西洋は罪の文化、日本は恥の文化だ」と説明した。本音と建前のせいで、言いたいことが何1つも言えない民族だ。とも書かれていたが、それは的外れな批判だ。
日本は現代社会でも相変わらず本音と建前の国だ。西洋人が「禁じられているからしない」という態度をとるに対して、「恥ずかしいからしない」というのも、なかなか見た目の美しい文化ではないか。

「人の嫌がるリンクは恥ずかしいことだからやってはいけない。」
「『多くの人のために・・・』が建前。『自己満足のために』が本音。」

話は変わる。最近になり、そのデリケートな分野に、数々のアフィリエイトサイトが出来はじめた。
もともとこの分野では、「デリケート」という言葉を持ち出した人が、アフィリエイト・アドセンスの先駆者だったと思う。 *3

私はとあるアフィリエイトサイトを、同じ分野の個人サイトの中でも特出して運営歴が長く、同じURLを維持し、多くのサイトからリンクされている老舗サイトで知った。
なぜリンクするのだろうか? リンクしたらどうなるかわかっているのだろうか? 実際に質問してみたが、わかってはくれなかった。

次のGoogleインデックス更新で、そのアフィリエイトサイトは検索結果のトップに表示されるようになった。私が想像していた通りの結果だ。
数ある優良なサイトを出し抜き、医者に診せるよりも大々的にアヤシイ健康食品を勧めるサイトが、より多くの人の目に触れるようになったのだ。

さて、2つの例では、リンクについて纏わる問題から、私が知っているものを挙げたものだ。
前者は、一部の人が望まないリンクを嫌う典型的な例(だと思う)。後者は、リンクによって派生する問題から、検索エンジンの検索表示順の規則について触れた。個人が勝手にリンクしてものを、これまた勝手に解析して、違うものに利用する例があるのだ。

前者について触れると、今でも私はLinks and Law: Mythsをバイブルにしており、無断リンクも当然賛成だし、デリケート(笑)なる例外はあるものの、無断でリンクを張るという行為を繰り返している。
無断リンク禁止派についての意見は色々あるけれど、あまり相手にしてはならないのこと、何とかそれを利用してやる方法くらいしか頭にない。

いまWWWに情報を公開している人の多くは、何かの理由や信念、意見、動機等があって公開しているわけではない。*4 見る方も見る方で、何も考えず気軽に見ている。いや、友達のブログを仕方なく字面だけ追い、適当なコメントを残すことで見たフリをしている、という人も多いだろう。つまり、良い意味でも悪い意味でもその程度だ。
難しいことは読まない/書かない。自分に対して都合の良い情報しか読みたくない/書きたくない、というのも、両者に共通している姿勢だと思う。

電車の中で食事や化粧、いちゃつくなどのプラベートな行為をする人間が散見される世の中だ。
公の場でプライベートでデリケートな話をする、そういったものを大勢が見られるところに公開するというのもその程度の感覚なのかもしれない。それを見せられて不愉快に感じる人は、見なければいいし、逆に自分が不愉快に感じる相手には見て欲しくも広めて欲しくもないのか。

気持ちだけはわかるが、そういう問題なのだろうか?

*1 時間が経った今、読み返すと「嫌っつってんのが理解できないの?」という解釈が出来るまでに成長した。
*2 賞賛は欲しい。批判は目にも耳にもしたくない。という考えの人は多いし、それで普通だと思う。真理を探究するために人生をやっているのだはないのだから、正論よりも、自分が納得出来る偏った意見に満足したいと願っているのだ。
*3 自らのデリケートな体験を削ってお小遣い稼ぎをしているのだから、それを批判をするつもりはない。むしろ立派な姿勢だと思う。そんなことは考えずにそれをしているとしたら、もっと幸せだと思う。
*4 なぜか私に対しては「なぜ公開しているのですか?」という質問がしばしばなされ、そのたびに閉口してしまう。なぜ生きているんですか?と聞かれなかったことに満足しなければならないのかもしれないが。


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プロフィール
1940年11月29日、東京都葛飾区柴又に生まれ、16才で家出し、20年後に腹違いの妹が暮らす故郷に帰って来た寅さんの本名は寅次郎である。