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あれ、打ち間違ってる?

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2007年12月16日(日曜日)

メンヘラについての考察および利用方法

カテゴリー: - etupirka @ 06時50分23秒

この世界には「メンヘラ」というクラスタが存在します。ここでは便宜的に2つに分けて考えることにしましょう。一時的なメンヘラ、そして恒久的なメンヘラです。

前者を見つけたあなたはとってもラッキィ!その人は失恋をしたのか受験に失敗したのか失業したのか知りませんが、至って普通の人間がたまたま弱っているだけという、最高のカモに遭遇出来たのは、幸運ないし、悪運強いとしか形容しがいがありません。
優しく思わせぶりな言葉をかけ、うまく付けいればタダでウレシイ思いが出来たり、壺や絵がじゃんじゃん売れるでしょう。

一方、後者は地雷です。その人はもうどうしようもない人です。「いや、私/俺だけは違う。私/俺はこいつを目覚めさせてやるんだ、本当のこいつに愛を教えてやるんだ」なんて考えた異性が過去に年の数ほどいて、結果は見ての通りすべて挫折に終わっています。賢明なあなたなら放っておくのが無難です。
また、前者についても、使い捨てるに留めよう考えれば大変オイシイ存在ですが、いつまでも続けようと思えば、それはあなたの人生を蝕むことになりかねません。あなたがその人のメンヘラの素質を育てることになるからです。*1

*1 相手がメンヘラになろうがどうなろうが、後のことは別にどうでも良いですけど、万一、正常な神経を取り戻した後に訴えでも起こされたらスムーズに次の遊びに移行出来なくなるでしょう。
未成年ならなおさらです。向こうの親があなたと同年代だったりしたらそれだけでお互い気まずいし、ガキ1人満足に育てられない奴に偉そうな説教の1つでも垂れられるなんて噴飯物ですが、あまり人前で笑い話に出来ない点でストレスが溜まるのは目に見えています。

さて、一時的なメンヘラと恒久的なメンヘラを見分けるのが難しいと思われるかもしれませんが、そんなのは慣れれば簡単です。最大の違いはプライドの差異にあるでしょう。
注意深く見ていると、前者は自分がメンヘラになっていることを心から恥じています。後者は口では同じことを言いますが、感覚が麻痺しきっているので実際のところ何も感じていません。前者はもともと人一倍高かった鼻をへし折られ、プライドが傷つけられて一時的なメンヘラになっている、という場合が想定されますので、この見分け方はかなり有用です。

ここまで読んで「フヒヒヒ、ビッチから一滴残らず甘い汁を搾り取ってやる」と思ったあなた。そう、あなたです。あなたは紛れもなくメンヘラ状態にあります。
残念なお知らせをしなければなりませんが、たとえどんな甘い汁が用意されていたとしても、メンヘラ状態の人間に近づこうとする人間は、ターゲットよりも重度なメンヘラ状態にあるのです。

一般常識に照らし合わせて、少女マンガでも携帯小説でもないのに、ちょっと頭のおかしい奴に近づいて何とかしてやろう、何かを得てやろう、なんて考えるあなたの精神は正常とは言い難いです。いえ、異常と断言できます。
あなたは過去に辛い経験がありますか?好きな異性に相手にされず、逆恨みでもしていますか?心許せる友達やリアルな友達があまりいないのですか?両親に対する感情にコンプレックスを抱いていますか?

特に自分よりも10も20も年下のメンヘラー相手に私利私欲をむさぼろうなんて考えたあなた、末期です。
年下というのはたいがい無知でバカですから、利口なあなたなら、そのままグレーゾーンを渡り歩き続け、一生分オイシイ思いをし続けられるかもしれません。しかし、その間、あなたの神経は常に腐敗し、あなたのメンタリティーを蝕み続けます。そのまま放置して最後に出来上がるのは人間のクズがゴミかウジです。

メンヘラに出会っても、必ず一定の間隔を保つようにすること。今あなたのアドレス帳にメンヘラがいるのなら、それもすぐに忘れましょう。利用しよう、なんて幻想は捨てることです。冷静に思い返せば、あなたは相手のメンヘラの手の中で思うように動かされ、利用されているだけなのですから。相手なんて誰でもいい、なんて思ってるのは、一方的に自分だけとでも思いましたか?ほんとバカですね。
あなたが恒久的なメンヘラの最終形態となり、新聞・テレビ・2ちゃんねるに載ってしまうことがないよう心からお祈り申し上げます。メリィ・クリスマス!


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2007年12月1日(土曜日)

ある病気のサイトから学んだこと、WWWに公開する意義

カテゴリー: - etupirka @ 10時51分39秒

リンク禁止について目次)を読み、わざわざこんなに多くの労力と言葉を尽くされたsci98さんに、同じくリンクを当然の権利だと考える人間として感服する。
これに触発されたわけではないし、内容はまったく関係ないけれど、1年前から感じている疑問を思い出したので、それを書こう。

1年前初めて、ネットで病気についての記録を書き残している人たちに遭遇した。
誤解のないように書くが、私はこんな病気です!あの病気かもしれないし、こっちの病気の疑いもあります!と「病気の宝石箱やぁ〜」と自慢する人はあまり見かけない。

しかし、上記の考えは厳密には誤りである。それについては後述するが、大多数の人は、自分のために自分の記録を残している。人にわかって欲しいという気持ちが、それをチラシの裏に書かず、WWWに公開した動機となっている。
確かに、そういう用途ではブログは向いているかもしれない。当初は「なるほどな」と読み進めていたが、どうもマイナーな世界なせいか、後になって理解できない価値観が蔓延していることに気づく。

もっとも困ったのが、あるサイトの特定のページにリンクしたときだった。そのサイトは単に自身の経験を書きつづっただけではなく、人の役に立つように形式でまとめられたものだ。
だからリンクしたのだけれど、すぐにメールで物言いがついた。そのページを管理している人が「リンクするのはやめてくれ、不愉快だ」と言って来たのである。

そこの管理人とはそこそこの交流があった。でも、最初は何が言いたいのかよくわからなかった。
返事を送ってみると、「私は嫌だ。みんなも嫌だと思う。だからやめてくれ」という主張上が、「扱っている対象がデリケートだから」という理由で説明された。

同時は何度このメールを読み返しても、「嫌だって言ったら嫌なの!」という意味にしか読めなかった。 *1
でも、その人がWWWに情報を公開している理由が、そのときやっと理解できた。

何の対価もなく、医療機関よりも多くの情報を公開して凄いなぁ、と思うのは、当時も今も変わりはない。
変わったのは「なぜ公開しているのだろう?」という理由についての解釈だけ。当時は、1人でも多くの人に知名度の低い病気について知って欲しく、情報を公開しているのだと思っていた。でも実際は、何も考えていなかった。

なるほど、と苦笑し、続けてお叱りを受けたときも、「だからその年になって結婚出来ないんだ!」など揚げ足もとらず、謝った。
この問題は私が全面的に悪い。何か目的があって行動している人間は、何も考えずただ毎日を消化している人間よりも圧倒的に少ない。それについて失念していた自分は、自分の価値観を他人に押しつける嫌な人間に感じられたと思う。

その人のブログを読んでいると検索エンジン対策・最適化の文字が目につく。アクセスアップのため・・・と書かれているページに書かれてあるページにリンクがされている。「少しでも多くの人に」という言葉も目につく。
最初からこの「多くの人」についての解釈が違っていたのだ。「多くの人」というのは、不特定多数という意味ではなく、自分について好意的な人間が1人でも多く、という意味だったのだ。*2

ルーズベネディクトというアメリカ人は、60年前に書いた本の中で「西洋は罪の文化、日本は恥の文化だ」と説明した。本音と建前のせいで、言いたいことが何1つも言えない民族だ。とも書かれていたが、それは的外れな批判だ。
日本は現代社会でも相変わらず本音と建前の国だ。西洋人が「禁じられているからしない」という態度をとるに対して、「恥ずかしいからしない」というのも、なかなか見た目の美しい文化ではないか。

「人の嫌がるリンクは恥ずかしいことだからやってはいけない。」
「『多くの人のために・・・』が建前。『自己満足のために』が本音。」

話は変わる。最近になり、そのデリケートな分野に、数々のアフィリエイトサイトが出来はじめた。
もともとこの分野では、「デリケート」という言葉を持ち出した人が、アフィリエイト・アドセンスの先駆者だったと思う。 *3

私はとあるアフィリエイトサイトを、同じ分野の個人サイトの中でも特出して運営歴が長く、同じURLを維持し、多くのサイトからリンクされている老舗サイトで知った。
なぜリンクするのだろうか? リンクしたらどうなるかわかっているのだろうか? 実際に質問してみたが、わかってはくれなかった。

次のGoogleインデックス更新で、そのアフィリエイトサイトは検索結果のトップに表示されるようになった。私が想像していた通りの結果だ。
数ある優良なサイトを出し抜き、医者に診せるよりも大々的にアヤシイ健康食品を勧めるサイトが、より多くの人の目に触れるようになったのだ。

さて、2つの例では、リンクについて纏わる問題から、私が知っているものを挙げたものだ。
前者は、一部の人が望まないリンクを嫌う典型的な例(だと思う)。後者は、リンクによって派生する問題から、検索エンジンの検索表示順の規則について触れた。個人が勝手にリンクしてものを、これまた勝手に解析して、違うものに利用する例があるのだ。

前者について触れると、今でも私はLinks and Law: Mythsをバイブルにしており、無断リンクも当然賛成だし、デリケート(笑)なる例外はあるものの、無断でリンクを張るという行為を繰り返している。
無断リンク禁止派についての意見は色々あるけれど、あまり相手にしてはならないのこと、何とかそれを利用してやる方法くらいしか頭にない。

いまWWWに情報を公開している人の多くは、何かの理由や信念、意見、動機等があって公開しているわけではない。*4 見る方も見る方で、何も考えず気軽に見ている。いや、友達のブログを仕方なく字面だけ追い、適当なコメントを残すことで見たフリをしている、という人も多いだろう。つまり、良い意味でも悪い意味でもその程度だ。
難しいことは読まない/書かない。自分に対して都合の良い情報しか読みたくない/書きたくない、というのも、両者に共通している姿勢だと思う。

電車の中で食事や化粧、いちゃつくなどのプラベートな行為をする人間が散見される世の中だ。
公の場でプライベートでデリケートな話をする、そういったものを大勢が見られるところに公開するというのもその程度の感覚なのかもしれない。それを見せられて不愉快に感じる人は、見なければいいし、逆に自分が不愉快に感じる相手には見て欲しくも広めて欲しくもないのか。

気持ちだけはわかるが、そういう問題なのだろうか?

*1 時間が経った今、読み返すと「嫌っつってんのが理解できないの?」という解釈が出来るまでに成長した。
*2 賞賛は欲しい。批判は目にも耳にもしたくない。という考えの人は多いし、それで普通だと思う。真理を探究するために人生をやっているのだはないのだから、正論よりも、自分が納得出来る偏った意見に満足したいと願っているのだ。
*3 自らのデリケートな体験を削ってお小遣い稼ぎをしているのだから、それを批判をするつもりはない。むしろ立派な姿勢だと思う。そんなことは考えずにそれをしているとしたら、もっと幸せだと思う。
*4 なぜか私に対しては「なぜ公開しているのですか?」という質問がしばしばなされ、そのたびに閉口してしまう。なぜ生きているんですか?と聞かれなかったことに満足しなければならないのかもしれないが。


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2007年11月1日(木曜日)

頭を使わずオシャレになる方法

カテゴリー: - etupirka @ 15時41分15秒

世の中、軽率になったものだ。

街を歩くと、男も女もみなゴテゴテした格好をしている。彼らが着ている服のほとんどがブランド品だ。
道行く人にテレビカメラを向け声をかけると「これはどこのですか?」という問いかけに、次から次へとブランドの名前が飛び出てくる。
猫も杓子もブランド品で身を飾る時代になったのだ。

今の基準でいう「おしゃれ」とは、どれだけブランドものを組み合わせているか、という意味である。「おしゃれの本質はブランドではない。センスだ」と主張する人がいるかもしれないが、それは理想・空想論だ。
実際のところ、現在の「おしゃれ」という評価の中に含まれる「センス」の度合いは1割程度だろう。残りの5割は流行で、4割はやはりブランド志向だ。
1割含まれている「センス」だって、どれほど独創的に自分を演出するか、という意味でのセンスではなく、違和感なくブランドを組み合わせられるか、という意味で問われる必要最低限のセンスなのだ。おしゃれになる手っ取り早い方法は、ブランドの店で店員に従うままマネキンを丸ごと購入すれば良いだけなのだ。

先ほどの例で言うなら、街行くおしゃれさんに「これはどこのですか?」と聞いたとき、「シマムラです」「近所のリサイクルショップで買いました。300円でした」「ユニクロのバーゲンでしか服は買いません」「ダイエーの衣料品コーナーです」と答える人がいるだろうか?
「そのバッグはどこのですか?」と聞かれ、「ヤフオクです」「パチンコの景品です」「中国のお土産です」と素直に答える人がどれほどいるだろうか。
たとえそんな人がいたとしても、その人たちのこと「おしゃれ」と呼ぶことはないだろう。やはり重要なのは「ブランド」なのだ。

1口にブランドといっても、様々な種類がある。
昔は「グッチ」「プラダ」「シャネル」「ナイキ」「アディダス」くらいしかなかったブランドは、今では多く人々がブランド志向という型にはまったため、逆に星の数ほどのブランドが点在せざるを得ない状況になっている。
逆に「ナイキ」や「アディダス」はファッションブランドとしての地位を失い、それよりもいつ誕生したかも知れない耳慣れないブランド名の方が優先されるようになっている。

最近では「古着」や「セレクトショップ」と呼ばれるブランドまで登場した。ブランドの定義が「メーカー」という枠組みを超え、単なる小売店や扱っている商品のジャンルにまで適応されるようになったのだ。
そういえば、一昔前には「この服、渋谷で買ったの」とさえ言えば、たとえどんなダサい服に対しても「カッコいい!」と無条件で思わなければいけない時代があった気がする。
それが現在では「この服は○○にあるセレクトショップで買いました(○○にはその人のファッション傾向を表す街の名前が入る)」という長ったらしい表現に置き換えられているのだ。

結局のところ、現在のファッション傾向は、昔から何1つとして進歩していない。
人々の多くは自分の個性を表現できるだけのファッションセンスも、度胸も持ち合わせておらず、それどころか他人に見せられるだけの個性を持っていない。
今も昔もファッションを「個性を演出する」という意味で使う人は皆無だ。本物のファッションセンスを身につけることが出来ない人々は、ファッションを単なる流行と捉えており、自らのファッションでさえも、メディアと被服業界が扇動する流行の型にさえ当てはまっていれば良いと考えている。

雑誌やテレビの裏には必ず金の力がある。被服業界の利益がある。
そういった見えない力を意識もせずに、見よう見まねでブランド品を組み合わせ身を着飾るだなんて、やってることは動物園の猿の猿マネと一緒のことだ。ハイハイをして褒められた子供を教育テレビで見て、自分も褒めて欲しくてハイハイの練習をするのと同じ行為だ。

他人が決めた「流行」に従うのは非常に楽な行為だ。金さえあればそれだけで「おしゃれ」にでも何にでもなれるのだ。いかにも現代的な考え方である。
しかし、この問題の本質は、ファッションを猿マネした者たちが、自分たちの考えが自分以外の他人にでも当てはめられると考えている点にある。

ここまで話して来た猿マネというのは、所詮は「自己満足」な行為でしかないはずなのに、己の「流行」の定義を自分とは価値観の違う他人に当てはめ、そんなくだらないもので他人の評価までをもしてしまうのは非常に愚かな行為である。
猿マネが完璧に出来ているから「おしゃれ」だと信じているだなんて、端から見れば非常に微笑ましい光景だが、猿マネレベルの人間同士が「あいつはおしゃれだ」「あいつはダサい」と評価し合っている光景というのは、非常に見苦しいものである。ましてや、猿マネをしていない人間に対してまで、猿マネをして当然のような言動をとるのは、片腹痛いにも程がある。

いつまでもピカソの絵をどれほど綺麗に模写出来たか競ってみたり、オリジナルの絵を描いている人に「あいつはバカだ」と、絵を見る目すら持ち合わせていない者が言う。
こんなくだらないことが当然としてまかり通る世の中は、なんと軽率なものに落ちぶれてしまったことか。

猿マネに必要とされるのは、本人のセンスではなく、金と時間だけだ(必要なら「プライドの低さ」を加えてやっても良い)。
そもそも、金の力で自分の価値観を決めてしまうのは、金の力で選挙の票を買うよりも、数億倍愚かな行為である。誰かがそれに気づかない限り、軽率な世の中が秩序を取り戻すことはないのだろう。


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2007年10月17日(水曜日)

わるい見本

カテゴリー: - etupirka @ 16時33分52秒

この動画のBGMが凄すぎる。

vision.ameba.jp​/watch.do?movie​=603528

目をつぶって聞いて欲しい。
いきなり(見てはいけないものが)始まるのを油断していて、間違って目を開けてしまって人もどうかご安心を。本当は19才だという。

このBGMは典型的なDTMだけど、単純なメロディと伴奏がすごく良い。
主旋律のキーボードはミ・ソ・ラ・レの4音。
4つだけの音がこれほど感動的なメロディになるのだ。

やはり最大の山場は50秒付近からのストリングスとのソリだろう。
1分10秒付近の息継ぎ(間奏)には思わずため息をついてしまいそうになる。

高校時代、音楽の授業で初歩の作曲技法を習った。特別なテキストはなかった。だから、授業は先生の口頭説明がすべてだ。
先生が言うには4度以上の音を飛ばす曲は素人が書く曲で、笑いものにしかならないという。
後で行われた作曲のテストでは、4度以上の音を飛ばしたから、という理由で提出された作品がどんどん減点されていた。
しかし残念ながら、この曲の山場のソリでは何度もストリングスと鍵盤が完全5度の音を飛ばしている。

作曲テストの2年前、同じ先生が授業中に当時流行っていたミュージシャンの曲を「笑っちゃうよね」と辛辣に批判したがあった。
問題の曲は男性ボーカルが高音域からさらにオクターブ飛ばすというテクニックを山場に使っていたのだけれど、どうも先生はそれが気にくわないらしい。
その授業以来、ユニークでおもしろいと言われていた先生は嫌われ者になった。「こんなのが父親だったら嫌だ」とまで言われるくらいに。

人間何がきっかけで嫌われるかわからないので注意しなければならない。
だから、学校にはこうやって最低1人は生きたわるい見本が用意されているのだ。
なるほど、そう考えれば、なぜあのようなくだらない人間に税金が使われていたか納得できるかもしれない。

その先生が書いた曲は低俗な扱いを受けているアイドルビデオのBGM以上の感動を誰かに与えたのだろうか?
同じ音楽家なら、他人の批評を言ってる暇があるなら己の腕を磨くべきだと思う。
どんなに博識で、音楽的な権威があっても、誰かの気持ちを動かすことができなきゃ音楽家としてはダメだ。オッサン、なんのために音楽をやっているの?
もちろん、その批判の矛先は自分にも向けられるのだけれど・・・。


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2007年10月4日(木曜日)

今月の電話代が

カテゴリー: - etupirka @ 05時03分23秒

いつもより13円高かった。

無駄遣いしてしまったみたいだ。

来月からは気をつけよう。

じゃあの。


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プロフィール
1940年11月29日、東京都葛飾区柴又に生まれ、16才で家出し、20年後に腹違いの妹が暮らす故郷に帰って来た寅さんの本名は寅次郎である。