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あれ、打ち間違ってる?

2008年3月15日(土曜日)

ぼくが地方都市でみたロリコンの実態、首輪に繋がれた幼女

カテゴリー: - etupirka @ 21時12分03秒

はてダを見てると、やれ児童ポルノがどうしたの、ロリコンは氏ね、俺はロリコンじゃないだの、もうたくさん。言葉だけでお腹いっぱいですよ。
みなさんは本当に、実情を知ってて書いてるつもりなんですか?ぼくはある地方都市で目を覆いたくなるような真実に遭遇しました。

幼女 幼女 ツルペタ幼女
(特定回避のため、一部画像を修正しています)

髪の長い幼女が首輪をつけられ鎖に繋がれています。
これはあるコンビニの駐車場でサイドミラー越しに撮影したものです。ぼくが撮りました。ぼくはこの現場を、悲しい事実を、この目で見てきました。

今あなたの目に映ってることが唯一の真実なのです。わかりませんか? もう、たくさんだよ・・・。


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2008年2月1日(金曜日)

「普通の人の普通の感想」を仕入れるため、LDRで普通の人のブログを読んでtumblrする

カテゴリー: - etupirka @ 03時24分13秒

290フィードほど購読していますが、半分か少なくとも100フィードは普通の人のブログだと思います。
普通の人のブログとは、ニュースサイトのフィードでもなく、芸能人でもなく、ギークと呼ばれるクラスタの有名人でもない、という意味です。ついでに言うと知り合いでもなかったりします。「もっと知りたい」と思った人のフィードを積極的に購読しています。

実際にどんなもんなのか、ここで自分のLDRを見せて「ほら、こんな感じ」とでも言えればいいのですが、普通の人の中に普通じゃないことをしている人が混じっているため、これを分けるのが面倒で公開はできません。
どれぐらい普通じゃないことしてるかと言うと、ここでは(ここでも)言えないくらいです。でも、日常生活・仕事では至ってどこにでもいる人たちだと思います(そう願いたいです)。

で、それを読んでLDRからtumblrするわけですが、多くの人が知的好奇心を擽られる内容ばかりをquoteしているのに対し、私は「あ、そうだよねぇ」「そうなんだぁ」と自分と違う日常を送る人の何気なくも意外に感じた一言を切り取りshareしています。
あと「こーゆーのが好きな人もいるんだ」「こんなこと考えるんだ」ってのも観測対象です。まとめサイトを見て本編に関係ないところを切り取ってしまったり、気に入る/気に入らない別に全部切り取ったりもします。

読んでてためになるライフハック、豆知識、技術ネタなどは他の人にお任せ。それもまたLDRからreblogしています。
最初あまりreblogが好きじゃなかったというのもありましたが、これはLDRで大量ポストをreblogしまくる人のフィードを読んでるためでした。この人のフィードを削除して、ついでにfollowからも外してからは楽しさがわかった感じです。*1

*1 とまぁ、こーゆーフレーズをshareして、他人の素直な感想を仕入れるのです。それが自分の意見に合う/合わない別にして。

なぜそこまでして「他人の素直」に拘るのか。それは自分がいくら考えたところで思いつけないからなんです。

たとえば先日、朝の満員電車で大勢の乗客を押し込みつつ乗り込もうとする人たちをみました。朝夕にバスしか利用しない生活をしている自分には珍しい光景です。
なんでそんなことをするのか。「1つでも早い電車に乗りたいから?」おそらくそうでしょう。「ではなぜ急ぐの?」もしかすると遅刻するのかもしれません。「もっと早くの起きて乗ればいいのに」とまぁ妄想は尽きません。

妄想はいくらでも出来るし、ある程度に的確な妄想が可能かもしれませんが、あり得ること=リアルではないため、それを羅列しても小説としては成り立ちません。
ありきたりの理由や突飛な理由*2はいくらでも想像できます。でも「いや、無意識に乗っちゃうんだよねー。急いでるわけじゃないんだけど」など意外な考えは(例が意外じゃないのは仕様です)そうは思わない他人がいくら考えても出てこないものです。
*2 「中の方にいる背の小さい女性が窮屈な思いをするのを想像してはぁはぁしたいから」など

もちろん、自分が精通している分野のことならいくらでも話かけるし、リアルなものが書けるかもしれません。が、私のように人生経験の乏しい人間ではすぐにネタ切れです。
そして、イベント1つ1つを妄想して話を膨らませることは容易でも、それをどうつなぎ合わせ1人の人間の人生一部・物語のにするのかという、次の発想が生まれて来ません。

というわけで、そういった純粋な発想を仕入れるためにLDRしてtumblrしてます。1度触れることの出来た雑感は自分の考えの糧として何度でも再利用可能です。
こんなに手軽に人間watch(わっち、と読んでください)ができるインターネットはすごい!

さて、そんな自分のtumblrを表から見るとこれが非常にひどい。ここに書いたことが全然出来てない上にネタが偏っています。
今ちょっとした小説を書きたいので、偏った内容ばかりにアンテナを広げていて、その自覚もありましたが、あまりにもひどい。原因は好きなものばかり読んでる(当然と言っちゃ当然ですが)からかな。もうちょっと購読層のジャンルを広げていきましょうか。

ところで徐々にfollowが増えているのですが、これはスクリプトの仕業だと信じたいですね。


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2007年12月18日(火曜日)

あなたのおじいちゃん、おばあちゃんmixiに招待して、最高の親孝行をしよう!

カテゴリー: - etupirka @ 16時24分09秒

何かと親不孝者ばかりが無理矢理クローズアップされて報道される現代だが、こんなときはmixiを使い史上最高の親孝行をしよう。

mixiといえば、各種のwebサービスの中でも輪をかけて生温い空気を保有している。携帯ユーザーが多いため、検索が出来ない人でも安心して使える。そんなサービス*1である。
ネットという世界は人の心のブラックな面が強調されがちだが、危険な発言や、罵倒に使われる2ちゃん用語やネットスラングなどもmixiの中ではあまり見ることはない。会員制というシステムが人々に自制心を与える、というのはmixiクローンであるOpenPNE作者がSNSをつくった動機だった。こんな安全なインターネッツはあまり類を見ない。なんたって、ゴキブリ一匹や二匹をフライヤーで揚げたくらいで盛大に盛り上がるようなコミュニティである。

また、どういう理由か「○○高校○○期生」「○○中学校」「○○小学校」など、出身校のユーザで構成されたコミュニティも多い。実際はリアルに同級生に会ってもお茶をするわけでも、挨拶をするわけでもない人間が、mixiでは何が嬉しいのか進んで群れたがっているのだから驚きだ。
自分の出身地や母校を懐かしむだなんて、これはもう若者向けというよりも、子供やお年寄りの対して優しいサービスとしか思えないが、しかし実体はそうではない。

現在のmixiは20代、30代ユーザーが最も多い比率を占めているコミュニティだ。なんと老人の比率は異常に少ない。せっかく老人向けの空気が日々着々と構築されている中、本物の老人があまり参加していないのは何とも勿体ないばかりである。しかし、これは20代/30代がおじいちゃん/おばんちゃん孝行を出来る最後の機会(チャンス!)だと考えられる。
ここに私は1つの提案をしたい。20代、30代が盛り上げてつくったサービスに、おじいちゃん/おばあちゃんを招待(この招待という機能がこれ以上に素晴らしい意味で使われたことが過去にあっただろうか)してあげよう。そう、これぞまさに、最高の親孝行ではないか!

60代以降のmixi人口が増えれば、当然コミュニティや日記の質も異なってくるだろう。あなたの力でこれからつくられる、未来のmixiを以下に考察してみよう。
まず、健康系のコミュニティには「更年期障害が懐かしい」「嫁の漢字がわからない」「孫の名前を提案したら却下された」などというトピックが乱立し、日記には「五十肩なんて今考えればたいしたことなかった」「同窓会に行ったら自分以外みんな他界していた」などの爆笑エピソードが書きつづられることが予想される。

あなたの新着アルバム、動画には「孫の写真(何が映っているかさっぱりわからない)」や「孫娘の動画(ものすごい手ぶれしている)」が並ぶかもしれない。
音楽としてお経のレビューが充実する日もそう遠くないはずだ。近所の老人会のコミュが立てば、イベントには「ゲートボール大会」「温泉旅行」などの企画がどんどん立ち上げられ、老人ホームや介護施設の名前が時つめで批判されるようになれば、自ずと福祉のサービスの向上も望める。

こうやって考えれば考えるほど、mixiは老人向けのサービスに思えてくるだろう。
しかし、mixiの素晴らしさはこれだけではない。最大の利点はボケ防止になるということだ!

老人を1人で家においておくとボケてしまうとはよく言うが、mixiをやらせておけば、絶えずマイミクの日記を読まなければならない、コメントをしなければならない、マイミクのマイミクの愛想良くしなければならないと、やることがいっぱいあってボケる暇がない。
参加したコミュニティでU70オフや、U80が開催されれば、友達も増え、素晴らしいmixiライフ、素晴らしい老人ライフが実現するだろう。

団塊の世代が疎遠になった友人との縁つなぎに年賀状を利用しているというニュースもあがっているが、年賀状にmixiのURLを印刷(手書きだと間違えそうなので、ここはあなたが代筆してあげるべきである)し、1度マイミクになってしまえば、縁が切れてしまう、縁があるのに名前や存在を忘却していまうという事態もこれからはあり得ないのだ。
また、昔の友達と会うことで記憶が活性化されるメリットも見逃せない。たとえ何も活性化されなくても、自分が思い出せないことを相手がどんどん自分のことを思い出してしまう、というシュチュエーションに慣れさせることで、たとえボケても心配がいらない、ボケたらこう対応すればいい、という良いトレーニングにもなり得る。寝たきりになっても携帯から利用出来る、という点だって見逃せないぞ!

やることが無いばかりに孫や子供に過剰な世話を焼き、結果的に嫌われてしまっている年寄りは少なくない。孫に相手にされずお金だけ絞りとられるおばあちゃん。実の娘から無視されるおじいちゃん。私はそういうご老人を見るたびに胸がずきずきと痛み、この世の中の不合理さに腹を立ててきたのだ。
さぁ、あなたの大切な親御さんを、おじいちゃんおばあちゃんを、どんどんmixiに招待しよう!mixiで最高の老後の生活をプレゼントしよう!そしてジジババの暇つぶし相手から開放されよう!!

*1 (笑)


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2007年11月6日(火曜日)

子供がおもちゃに見るもの、大人がおもちゃに見るもの

カテゴリー: - etupirka @ 19時45分26秒

久しぶりに子供向けの玩具売り場に行った。そこは店名に「赤ちゃん」という言葉が入るお店だ。主に赤ちゃんとその母親に関連するグッズを卸値で取り扱っており、当然、売り場の一角では玩具も取り扱っている。

小さいとき、おままごとが好きだった。私がもっとも料理に触れたのは3才以下のときだろう。それくらい好きだった。
その頃のおままごとグッズと言えば、ほとんどがプラスチック製品だ。1つ1つのアイテムにはリアル感もなく、プラスチックの成形もあまり良くはない。バリがついたままの製品がそれなりの良い値段で売られているのも普通だった。

昨日、おもちゃ売り場で見たままごとグッズは、そういった意識のものとはあらゆる意味で対照的だった。
まず、材質は木だ。野菜や調理用具など、必要なものはすべて木で出来ている。仕上げの加工も悪くない。それどころか、1つ1つ丁寧に色が塗られており、野菜の表面には、細かい穴が開けられていたり、しわなどが彫刻され質感が演出されている。
さらに、すべて野菜などの食材は包丁で切れるようになっている。一切れ一切れがセパレートのパーツになっており、それらがマジックテープで合わさった状態で売られている。別売りの木の包丁で切れるようになっているのだ。

これほど精巧なおもちゃがトミカ1つ分の値段で販売出来るようになった背景には、何があるのだろうか。
まず、機械の進歩にあるのだろう。工場などの特注機械の精度が向上し、また値段も安くなった。
だがそれ以上に大きく関わっているのは東アジアの労働力だ。

バブル期以降、東南アジアをはじめとした工業地帯・地域や中国沿岸部に、日本をはじめとする先進国の工場がつくられた。
現地の労働力が豊富で安い。現地に資材を集め、出来た製品を輸送するコストを考慮してもなお安価なのだ。
先進諸国が途上国の資源を食い物にしている、という話を耳にする。まさにこれはその尤もな霊の1つの例だ。

さて、木で出来たままごとセットは、1つ1つが手が凝ったつくりながら、安価な値段で販売されていた。
大人や、プラスチックより木の方が良いと考え子供にそのままごとセットを買い与える。だがそのおもちゃは途上国の森林から無計画に伐採された木からつくられ、それを現地の人が安い賃金で加工されている。果たして、こういったおもちゃを子供に買い与えることは必ずしも「善」と言えるのであろうか?
そのようにつくられたおもちゃは、何もこのままごとセットだけではない。広い売り場の中でも、国内で生産されたおもちゃを見つけ出すのは至難の業だと想像する。私が知っている限りでは、ガンプラなどのプラモデルくらいだ。

自分の遊ぶおもちゃがどのようにして作られたか、子供は知る由もないし興味すら持たない。
でも大人はそれを知っている。たとえ知らなくても、知ろうと思えば知り事が出来るし、少し考えば思いつけるはずだ。

翻って、国内では格差の問題が騒がれている。私が読んだ資料では、日本は世界でも4番目に富める人と貧しい人の間の差が広い国だそうだ。
東京は本当に地方を食い物にしている、とも聞くがそれは本当だろう。日本は他のどの地域をも食い物にしていないのか、考えたことがあるか?日本全体が幸せなら、それで良いのか?その幸せはどこから来た幸せなのか?

誰かが得をしている分、誰かが損をしなければならない。
だから「食い物にされている」と呼ばれる現象は常に世界のどこかで起こり続けなけらばならない。安価で海外製のおもちゃや食品を購入しているあなたは、海外の人々を食い物にしていないのか?

自分の子供に本当は何を教えなければいけないのか。国内の格差問題にお腹立ちになられている方は、まずそういう問題から解決していくべきだと思う。
己の財布の中身だけを見て、何も考えず「損した」「得した」ばかりにこだわる人々は、なんて愚かなのだろうか。大人は子供にそんな自分の後ろ姿を見せたいのか。

本当は、何も努力をしていない人も努力した人と遜色のない生活をしていた時代の方がおかしかったのだ。
10年前までは途上国の人だけが損をすることにより賄われたあなたの幸せは、今は国内のあなた以外の人が、あなたの幸せのために損をしなければならなくなった。同様に、あなた自身も誰かのために損をしなくてはならない。

「昔は私たちがすべてを食い物にしていた」と考える人や、「金持ちが貧乏人に食い物にされていた。今も金持ちは給料の半分を税金に持って行かれ、貧乏人の食い物にされている」と考える人はいないのか?なぜそういう考え方がメディアに紹介されない?


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2007年10月19日(金曜日)

中間ってのがあると思うんだけどなぁ

カテゴリー: - etupirka @ 08時32分38秒

komachi.yomiuri​.co.jp/t/2007/0​317/123340.htm?​o=0&p=0

どうも「大きすぎる」人を引き合いにして、「大丈夫だ」と結論づけたい人が多い。

やっぱり

ファッションはバランスが決まらないので、ブラは当然パッド入り。かなり増量で入れてます!
聞かれたら「これは、ニセモノ!」と答えようといつも思っていますが、誰も聞いてくれません。

これくらい開き直らないと人生満喫出来ないでしょ。

大きさ(小ささ)の違いが自分の人生、幸せに影響していると考えている人も観察出来る。
大塚美容整形外科のCMの影響か。

目立つ欠点を見つけたら、何でもそれのせいにして自己完結してしまう人は多い。
思った通りに事が運ばない原因なんて、もっと冷静に胸に手を当てて(ブラックだなぁ)みれば理由はいくらでも思いつくけど、それに向き合おうとせずに、誰が考えても自分の力だけでは出来ないことを見つけ、「仕方のないこと」を理由にしてしまう。

まぁ、安易な理由が身近(まさに身近)に見つかるというのは、幸せなことかもしれない。
人によってはその理由が自分の家族だったり、友達だったり、対象が人になることもあるから。

今はすべて表示するモードだけど分割表示にすると関連記事が見られておもしろい。
みんなそんなことで悩むなよなぁ。


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