ドーナッツ
今日、妻と離婚した。
妻と出会ったのは高校の課外活動だった。
高2の秋、当時懇意にしてた友人が柔道部の部長をやっていたのだが、部員が一気にやめてしまい、規定の人数に達せず私に相談を持ちかけて来た。
部員が足りないと試合に出られなくなるのか、予算がもらえなくなるのか、廃部になるのか。
詳しい理由は忘れてしまったが、親しい友人の頼みを無下に断ることも出来ず、「名前を貸すだけなら」という約束で柔道部に入部することになった。
小学校の頃からひょろかった私が柔道部に入部したのだ。今誰に話しても信じてくれる者はいないだろう。自分でもたまに思い出しては苦笑いしていたくらいだ。
実際のところも、自分の柔道着すら持っていなかったし、現役で予備校に通うほど熱心な学生だった私に部活に出る暇などあるわけもない。
当然のように幽霊部員を決め込んでいた私だったが、しかし冬休み前になって、1度だけミーティングに顔を出すことになった。
ミーティング自体はそれほど長くなかったと思うが、もっとかかるものだと思いその日の予定をすべてキャンセルしてしまった私は拍子抜けしてしまい、毒を食らわば皿までと初めて練習に出席してみた。
とはいえ、前述の通り柔道着も持っていないのだから、もっぱらやることは「見学」のみだ。すぐ手持ち無沙汰になってしまい、隠れて本でも読もうかと思っていたところに彼女が現れた。
ミーティングでは見かけなかった顔で、しかも私がいるのは男子柔道部の練習場。ミーティングだなんてカッコ良い事を言っても、参加していたのは私を含めて5人だけだ。見落とすはずがない。
何かの間違いか、それでなければ誰かに用があるのか。そのときはそれくらいにしか思っていなかったが、後で聞いてみると彼女は柔道部のマネージャだという。女子の部のマネージャと掛け持ちしているため、ミーティングには出ていなかったそうだ。
このまま練習を見ていても何もおもしろくないので、忙しそうに働く彼女に手伝いを申し出てみた。
この行動は、今考えてると、当時の私としては異例だったはずだ。親しい女の友達なんて1人もいなかった私が、はじめて女性に声をかけたのだ。
上で練習している奴らの飲み物をつくりつつ(と言っても単なる水道水だったが)、話を聞いてみると、彼女は私より1つ下の1年生だという。
彼女の容貌に騙され、すっかり同い年だと思っていた私は、その日2度目の拍子抜けをした。しかし、それで彼女のことが気になりだしたのだと思う。会話も今まで経験したことがないくらい弾み、部活が終わってからも、ずっと部室で話し込んでいた。
それ以降、二度と部活に出ることはなかったが、彼女とは校内で顔を合わせるたびに会話を交わすほどの仲になった。
はじめて予備校をサボったときも、学校の下駄箱でたまたま一緒になった彼女とドーナッツ屋に行ったときだった。
洋楽のかかった洒落た店で、学校の近くにあり、入る前まではずっと不良のたまり場だと思っていた。
その店に入ったのは1度だけだけれど、そうして学校に関係なく彼女と個人的に時間を過ごすようになるまで、そう長く時間はかからなかった。
春になり、私は進学組になり、去年にも増して受験勉強に精を出していた。
彼女との時間もつい疎かになりがちで、私の一方的な都合が原因で何度となく約束を無為に化してしまったのに、そのたびに彼女は笑って許してくれたし、勉強に忙殺されていた私を心配してくれた。
そうこうしているうちに2人の間に子供が出来た。言うまでもなく、ガリ勉だった私に子供と彼女を養う力などない。
彼女には素直にそう伝え、謝った。彼女は泣いていたと思う、私が約束を破ってしまったときのあの顔で、笑いながら泣いていた。
子供はその1週間後に産婦人科で堕ろした。病院には私もついていったし、病院代は私が負担した。
2人の両親にはこのことを話さなかったし、今も、少なくとも私の親には打ち明けてはいない。
普通ならそこで関係が終わってしまうところだが、私たちの仲はまた何事もなかったかのように続いた。
いつ思い出しても恥ずかしいばかりなのだが、だからと言って私も彼女も、何も変わることはなかったし、後になってその出来事について話をしたことは、婚姻期間の間にだって1回もなかった。
次の春に私は大学に進学した。夢にまで見た第一志望に合格し、単身上京したのだ。
1度離ればなれになった彼女とは、その1年後、彼女の高校卒業を待って同じアパートで同棲することになる。
その間、1人や2人くらい、互いに恋人の1人くらいは出来てもおかしくなかったのに、不思議とそういった関係になった人はいなかった。
いや、本当のことを言うと、私には「そういったような」関係の人がいたが、彼女には黙っていた。
2人はまた元通りの関係に戻った。
彼女は昼間専門学校に通い、夜は私の世話をしていた。
私は大学から帰ると、彼女といつも通りのつまらない話をする。
そのつまらない話こそが、私の生き甲斐だったし、その頃の記憶を振り返ろうとしても、思い出せるのは彼女と暮らした古いアパートと、彼女の笑顔だけだ。
当時の研究室の先輩に声をかけられ、大学院進学を諦め、今で言うベンチャー企業に就職が決まったときも、彼女は念願だった仕事をやめてついてきたくれた。
4年ぶりに戻った地元に私は何も感慨すら感じなかったが、同居人として彼女の戸籍を動かしたりするのが面倒だという話の下りで出た「面倒だから結婚してしまおうか?」という私のくだらない冗談が本当になり、そして結婚した。
彼女は専業主婦になった。ロマンチックなプロポーズも、式も新婚旅行もなかった。理由は相変わらず私の都合だ。仕事が忙しかった。
結婚後はじめて休みがとれた日に、写真だけは撮った。
本当ならスタジオのようなところに行けばよかったのだろうが、たまたま残っていたカメラのフィルムを利用して写真を撮ったのだ。
そのときに撮った写真は、それから1度も見ることがなかったのだが、その10年後に彼女が手帳にいれてとってあったのをたまたま見つけた。
彼女に尋ねてみると、10年前からずっと大切にしていたと言うのだ。手帳を変えるたびに写真屋で焼き回していたという。
私自身はと言うと、そんな写真の存在自体を10年の間すっかり忘れていた。
そして、その約1年後の今日。私は彼女と離婚した。
なぜ結婚して、離婚をしたのか?
理由はわからない。結婚も離婚も、どちらかとなく言い出したことだった。
今日、2人で役所に行き、届けを出してきた。
帰りに腹が減ったので、喫茶店で食事をとって、そして別れた。
彼女の新しい連絡先なんて知らない。実家の両親も数年前に他界し、他に姉弟もいなかったので家は処分してしまった。
もうこれっきりだね。
それが彼女の最後の言葉。彼女の顔は心なしかやつれていて、目はもう笑ってはいなかった。
私はどこで道を踏み外してしまったのだろうか。
本当は、あのとき子供を産ませてやれば良かったのだ。
約束だって1度も破るべきじゃなかったし、彼女が専門に通ってまで得た仕事をやめさせてまで、東京を離れるべきでもなかった。
もっと2人で話をしていたかった。もっと彼女に気づいてあげるべきだった。
あのボロアパートで過ごした時間と、彼女の笑顔を思い出す。
最後に入った喫茶店のコーヒーの味は、昔2人で入ったドーナッツ屋のコーヒーの味にどこか似ていた。
本当はコーヒーなんて1度も飲んだことがなかったのに、彼女の手前カッコつけて頼んだコーヒー。
上京後にそれを打ち明けたとき、彼女はずっと笑っていた。涙を流しながら笑っていた。
勝手かもしれないが、私に出来ることはもうない。
ただ、あの懐かしい時間を、彼女も今思い出してくれていれば良いと思う。
あの楽しかった時間をずっと忘れて欲しくないと思う。
そう願うことしか私には出来ない。
今でも彼女のことを愛している。彼女の笑顔を忘れたくない。










