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あれ、打ち間違ってる?

打ち間違いだとわかる箇所は、間違っていること・本当のことの両方が伝わっているものだと思います。適宜読み替えて読んでください。間違いに気づかない人は、どうぞそのままお読みください。

文章の論旨への批判・意見・感想等は大歓迎します。Twitterもやってます。

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2007年10月4日(木曜日)

教師にも人権を認めよう。

カテゴリー: - etupirka @ 05時38分56秒

教師が児童ポルノに、U-15の少女に欲情して何がわるいんだ?
確かに、一般的な健康な成人男性の中でも、U-15の少女に性欲を示すのは希有の部類に入るかもしれないが、この国は少数派の意見を認めない国だったのか?それは違うはずだ。

断言しよう。この問題の本質は、教師が何人と関係を持ち、何をしたか、というところにはないのだ。

www.asahi.com/n​ational/update/​1001/TKY2007100​10372.html
www.zakzak.co.j​p/top/2007_10/t2007100531_all.html

調べでは約600人と関係を持ったそうだが、それくらい誰でも1度は妄想するレベルのものだ。
その行為が日本の法律に引っかかってしまったのは、行き過ぎを認めざるを得ないが、だからと言って大事にすることではないだろう。
男が教師だったから悪いのか?教が援助交際したら罪が重くなるのか?

参考までにこの国の法律について列挙しよう。

1.13歳未満と異性交遊   捕まる(強姦罪)Point ) 相手が同意し、喜んでたとしても強姦になる

2.18歳以上と異性交遊   捕まらない Point ) 不倫の場合は民事で慰謝料請求の可能性あり(約200万円)

3.18歳未満と異性交遊   捕まる(淫行条例)Point ) 婚約関係、長野県、18歳未満同士なら問題無し

4.18歳以上を買春     捕まらない Point ) 1万人買春しても問題無し

5.18歳未満を買春     捕まる (児ポ法) Point ) 18歳の女子高生なら問題無し

6.18歳以上が売春     捕まらない Point ) 売春そのもの、は処罰できない

7.18歳未満が売春     捕まらない Point ) 児ポ法によって『被害者』扱い

8.18歳以上を買春勧誘   捕まらない Point ) 道で声かけても問題無し

9.18歳未満を買春勧誘   捕まらないPoint ) 出会い系での児童勧誘は捕まる、テレクラ、ナンパなら問題無し

10.18歳以上が売春勧誘   捕まる (売春防止法)Point ) 立ちんぼ女はこれで逮捕

11.18歳未満が売春勧誘   捕まる (売春防止法、出会い系サイト規制法)Point ) 中学生の女でも捕まる

12.18歳以上を売春斡旋   捕まる(売春防止法)(風俗はグレーゾーン)

13.18歳未満を売春斡旋   捕まる (児ポ法)Point ) 女子高生が女子高生斡旋したら捕まる

14.18歳以上を異性交遊斡旋 捕まらない

15.18歳未満を異性交遊斡旋 捕まる(児童福祉法)Point ) やらせる目的で友達に紹介するのは駄目

16.18歳未満ポルノ単純所持 捕まらない Point ) 奈良県にのみ、取り締まる条例あり

教師は宦官ではないのだ。1人の人間だ。
私は問題となった教師の行いを正当化するつもりはない。だが現在、教師の人権が著しく侵害されているのは紛れもない事実なのだ。
男はやってはいけないことをしたかもしれないが、それが教師だったからといって特別視したり、ましてや焦点をあてて報道してはいけない
教師は天使ではない。単なるどこにでもいる中年オヤジだ。中年オヤジがエロいことを考えて生きているのは公然のことだ。教師には普通のエロオヤジに与えられた人権が存在しないのか?

考えて欲しい。教師はなぜ教師なんて仕事をしているのだ?

話は変わるようだが、ググれば大学の偏差値の一覧が予備校のページで閲覧できる。知っている教育大学の名前で調べてみて欲しい。それらの大学は偏差値が高い大学か?そうではないはずだ。
また、教師になる人間は必ず教育大学に入るわけではない。私立の、さらに偏差値が低い大学からも、教師になる人間がいる。教員資格はどの大学でもとれるようになっている。

私は偏差値が高い人間が立派な人間であると言いたいわけではない。
これだけは確実なことを言おう。教師になった人間のほとんどが、学生時代勉強をしなかった人間だ。もしももっと勉強をしていれば、もっと違う仕事をしていた可能性が高い。東大や有名大学卒業の小学校の先生をあなたは知っていますか?

つまり、教師になった人間というのはもともと机の前で黙って座って集中できず、その間違うことを考えていた、そういう人間なのだ。この問題の根本は、そもそも子供たちを教え導いている人間のレベルが低すぎることにある。
学生時代勉強が何よりも好きで、その素晴らしさを誰かに知って欲しくて教師になる人間は小数だ。だいたいの教師は他にやる仕事がないが、安定が欲しくて今なっているだけ。
特に問題となった教頭の世代は誰でも簡単に教師になることが出来た世代だ。今は枠が狭すぎて、教師というのはそうは簡単になれる仕事ではない。

若い人は、おそらく今の40代以上の教師よりも必死に勉強して教師になった人間たちだ。
教師のほとんどが公務員であるため、質の低い人間が現職にいるのだ。
彼らは目上の人間に口出しをするわけにはいかない。教育現場では、より質の低い人間がまだ指揮をとり続けている。問題の本質はここにある。

教師になるために特別な精神鑑定を受けなければならない制度はない。教師はエロで変態であることを禁じられた職業ではない。
教師にも変態でいられる権利を認めよう。
そして、それを認めた上で、文化レベルの低い人間が自分の子供たちに偉そうにしている事実を問題視するべきではないのか。

追記:「教師がどうのこうの」って部分を大々的に報道しなかったら、このアニメだって放送できたのでは?


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今月の電話代が

カテゴリー: - etupirka @ 05時03分23秒

いつもより13円高かった。

無駄遣いしてしまったみたいだ。

来月からは気をつけよう。

じゃあの。


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2007年10月2日(火曜日)

うちの夫、最近変なんです。

カテゴリー: - etupirka @ 06時00分00秒

うちの夫、最近変なんです。

結婚してから20数年、1度も買い物をしたことがない夫が、突然お味噌を買って帰って来ました
夫は買い物もしないし、当然料理だってしません。その日も自分から「はじめてスーパーで買い物をした」とおっしゃってました。
どうしてお味噌なんて買って来たのか、私にはそれを聞く勇気もなく、考えた末にきっとうちのお味噌の味が気に入らなかったんだろうという結論に至りました。

翌日は前からあったお味噌を捨てて、夫が買ってきたお味噌を使ってお味噌汁を用意して夫の帰りを待っていました。
するとその日も夫は買い物をして帰って来たのです!夫が買って来たのはワンタン。私にはもう訳が分かりませんでした。
「何か食べたいものでもあるのですか?」勇気を振り絞って聞くも、夫は素っ気ない返事で何もないとおっしゃるばかり。

次の日、ワンタンスープをつくり帰りを待ちました。夫は今日も何かを買って帰るのかもしれない。そう思うと食事も喉を通らなかったです。
夫はやはり買い物をしてきました。その日の買い物は水菜です。その日は頑張って「明日は何にしましょうか?」と聞きましたが、夫は何でも良いと答えるだけです。

4日目。その日の買い物は湯葉でした。
湯葉なんて最後に食べたのはいつでしょうか。その日は夫と一昨年の暮れに温泉に行った話をして、夫も楽しそうにその時の思い出や夕食で食べた湯葉の話していましたが、私は夫が私の料理に不満があるのかもしれないという懸念を思いついてしまい、ずっとそのことばかりを考えていたのでした。

5日目、その日夫はバナナを買ってきました。そのまま食べられるものを買ってきたのは初めてですすが、やはり夫が買ってくるものは食品だけです。

6日目、その日も夫はバナナを買って来ました。
その頃には私も我慢が出来なっていたので、勇気を出してずっと聞きたかったことを聞いてしまいました。

「○○さん(夫の名前です)、最近は毎日買い物をなさりますね」
「ああ、うん、そうだね」
「もしかして、私の料理がお口に合わないのでしょうか?」
「いや、そんなことはないよ。これを見なさい」

夫はそういってレシートを並べて差し出しました。


わんた
みず

バナ
バナ

そんなバナナ!!!
夫はそう言い、これ以上にないくらい楽しそうに笑っています。

うちの夫、最近変なんです。


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2007年10月1日(月曜日)

幸せな食生活

カテゴリー: - etupirka @ 04時05分16秒

前回の記事では単純なことに満足することの大切さを説いた(1行に要約出来る文章なら、最初からそう書いた方が読み手も書き手も楽だろう)。
今回は私の中で最も単純なものの1つを紹介しよう。それは味覚だ。

私の味覚はこれ以上にないほど非常に単純に出来ている。私が持ち合わせている料理に対する評価の語彙には「うまい」と「まずい」しかない。何かしらの進歩があるとしたら、最近になって、面と向かって「まずい」と言えないときのために「ぶつう」という評価が追加されたくらいだ。
テレビでアナウンサーの「濃厚な」「口の中でとろけるような」という台詞を聞いても、いまいち想像がつかない。そんなことより、まずいかうまいかはっきり言え、そっちの方が大切だろ、と正直に思う。もっとも、正直に「まずい」と言ってしまうようでは番組として成り立たないだろう。それではスポンサーがつかないし、見てる方も最初はおもしろくても、徐々に飽きてしまうからだ。

もう少しこの話題を続けよう。私が疑問を感じる評価の1つに、「昔食べたことがあるような」「懐かしの」というタイプの語彙がある。
よく考えると、そのアナウンサーがどこの出身で、どんな水準の生活を送っていたか知らずして、視聴者が「昔食べたような」味を思い浮かべるのは無理だ。
さらに、アナウンサーが同郷やそれに近い県で、自分と同じ時代に似通った生活をしている可能性は非常に低い。その条件に当てはまらない人々はその当時の見知らぬ土地を推測するしかない。「青森」「大阪」などの有名な土地ならあまり難しくはないが、「実はチベットの帰国子女です」と言われるともう無理である。よってこの表現は不適当に思える。
実際には多くの人は何も考えず、自分の幼少から学生時代の頃を振り返っていることと思われる。妄想で食べ物の味が伝達できれば世話はない。全員が自分の好きな美味しい味を思い出しているのだから、考え方によってはこんな幸せなことはないのかもしれないけれど・・・。

味覚が単純というのは、好みも単純ということのようだ。
私の好きなものは、ラーメン、カレー(カツカレーを含む)、カツ丼、牛丼、レバニラ炒めなど、どれも子供が好きなものばかり。
地域別では日本食よりそれ以外を好み、その中でも中華料理が好き。手軽につくれる手早さが魅力で、人につくってもらうとき(主に飲食店)も出てくるのが早い。
そういえば牛丼も注文してから出てくるまでの時間が短い。カレーもよほど特殊なカレー以外は早いし、私自身特殊なカレーには興味はない。意外なところにもせっかちな性格が反映されているようだ。

カレーやラーメンは自炊が簡単である。もっとも、私があげたどのメニューも自炊が簡単なもの(だから好き)ばかりだが、カレーとラーメンは簡単な食品の典型にあげられる。
どちらも、レトルト食品が必ずと言って良いほどコンビニやスーパーの棚に並んでいるのだ。

カレーライスといえば小学校の自炊遠足を思い出す人も少なくないだろう。残念だが私にはそんな経験はないので、思い出を共有できないのが寂しい。
カレーは今はコンビニに行くとボン、マルシェ、星の王子様、あんぱんまんなど選びたい放題だ(バイキンまんのカレーはない)。

ラーメンはスーパーで5食売りが安売りしているのを頻繁に見かける。けれど、この手のラーメンにはあまり興味はない。あれはラーメンの殻を被った別ものだと思えば美味しく食べられるけれど、そう思わない限り食べられたものではない。
私が好むのは、ばら売りされている生麺とスープだ。麺は地元の某メーカーのものが好き。小学校の給食に卸をしている方のメーカーの麺がちょっと高いけれど美味しい。
最初は麺をゆで、スープにお湯を加えるだけで満足していたが、最近ではそれに飽きたらず、店でやっているように、野菜を炒めるところからスープづくりをはじめるようにした。「単純なもので満足していないではないか」と言われそうだが、炒める野菜は決まってもやし半袋(10円相当)だけだ。これが単純でないという人は、よほど粗末なものを食べているのだろうか。思いがけず泣ける話になってしまったところに、私の類い希なる文才が発揮されてしまったことよ。

私の好きな食べ物の条件は、結局は「早い」「安い」「子供が好き」の3要素に要約されるだろう。自分以上に単純な味覚を持った人間は、本当に幸せだと思う。もしいたとしたら、道端の草でも喜んで刈って食べる人間かもしれない。


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パチンコ屋に行ってきました

カテゴリー: - etupirka @ 02時54分42秒

パチンコ屋に行ってきた。最後に行ったのは9年前のことだ。

9年振りのパチンコ屋は、そのときよりも外装・内装がキレイで、掃除も良く行き届いている。若い女性の姿もチラホラ見かけ、(個人的にこの数字に価値があるとは思えないが)男女比は半々というところだ。
遊びに行ったわけではなく手持ちぶさた。人を待ちつつ、ぼんやり他人が打っている台を眺めていたが、驚くことに全機種のパネルに液晶が採用されている。釘も縁日のおもちゃみたいに甘く、バカでも入るような工夫がなされている。

台の出玉・大当たり情報はそれぞれの台にリアルタイムで表示され、店内の機械や携帯から検索が出来る。「貯玉」なるシステムまで導入されている(もっと昔からあったのかもしれないが)。
店内の騒音レベルは、私が最後に訪れたときより上がっているだろう。店のシステムが合理化される一方、機種の性能は飛躍しており、発光ダイオードが無駄に明るく、そして音はうるさい。昔と比較して良くなったのか悪くなったのか、判断がつかない。
訪れている面々は一様に殺伐とし、溌剌とした表情の者は誰一人としていない。全員が自らの意思で参加し、すすんでお金を払っているのに、楽しそうに遊んでいる(という動詞が適切なものかどうか判断し兼ねるが)人はいない。元気そうに笑顔を振りまいているのはホールを歩き回るバイト店員だけだ。
ギャンブルというのは喜び勇んで乗り込んでいくイメージがあるが、勝負中は私が思っているよりシビアなようだ。

今度このような店に来るのはまた10年先のことだ。せっかくの機会だから、後学に様子を見ようと思ってはいたが、店に足を踏み入れ、ちょっと様子を伺った時点で、パチンコ店に対する私の好奇心は一気に衰退してしまったようだ。
やはりもう来ることはないだろう、と確信しなるべく早く店から切り上げるが、実はその二時間後には、なかなか出てこない連れを呼びにもう一度入店することになる。

私はギャンブルが大嫌いだ。あれは人間のクズがするものだと思っている。

元来、私はギャンブル好きのする性格ではない。
ギャンブルに熱中し趣味とする人の大半は、はじめてや、その後数回目に来店したとき、ちょっとの投資で予想外に儲けてしまったときの快感がきっかけとなっているそうだ。
私の場合、最初あることに失敗すると、2度目に同じことに挑戦するのが非常に億劫になる。また逆に、二度、三度成功したのに、その後何度も失敗が重なると、しばらくは手をつけたくなくなる。そしてどちらの場合も、二度と手をつけなくても許されるのなら、無意識で二度と手を出さないようにする。
自分はちょろっと手をつけただけで、人よりも上手く出来てしまうことが多い人間だ。自分が苦手な対象に対して努力をして克服するという経験をせずこの年まで生きてきた。失敗することが大の嫌いだし、失敗する可能性があることにはなるべく手出しをしない。だから、私という人間にギャンブルは向いていない。

ギャンブルというのは負けるより勝つ確率が高い。当たり前だ、そうでなければ店が儲からない。
単純な確率の話をするとそうなるが、実際のところ人間には「勘」や「慣れ」、「学習」、「適応」などと呼ばれる能力がある。しかしながら、この能力はすべての人に公平に分配されていないのだ。
1つのホールに、高確率で負ける人と高確率で勝つ人の両者が存在している。勝ち続けている人の中にはそれを生業としている人がいるのかもしれない。では負け続けている人は?どうしたら負け続けられるのか?
常識で考えて負け続けられるはずがない。個人の持つ所得は無限ではない。金をドブに捨て、無い金を無理矢理捻出して、常識では考えられないレベルで負けている人間がいるはずだ。全体の何パーセントかは知らないが、その手の人間が店を経営を支えていると思って間違いない。

この仕組みは非常に単純明快だ。少なくとも年金よりはわかりやすい。金と人生をドブに捨てる人がいる一方で、一部の人間が雀の涙ほどの利益を得て満足する。店側は残りの金を搾取する。
マックでバイトをする時給よりも、ギャンブルで得られる時給の方が多い人は少数派だ。大半の人は普通に真面目に働いて利益を得る人よりも非効率な金銭を得方をしている。
金儲け自体を目的としてギャンブルをしていないのは明らかなのに、全員が金に対して異様に執着しているのだ。この矛盾の中に人間の醜さの本質がある。もっとも、彼らの一部はギャンブルで簡単に金が儲けられると本気で信じているのかもしれないが。

どこをどう踏み外したら、ギャンブルという快楽に神経を麻痺させてしまうような、鈍感な人間になってしまうのか。
ギャンブルの快楽は、麻薬のような強い精神依存を伴う快楽だ。もっと人間的で、もっと昔から知っている、もっと細やかで単純な楽しさだけで満足出来なくなってしまうということは、非常に愚かであり、その人物が昔よりも鈍感になった証拠だ。それが出来なくなった者を人間のクズと呼ぶに相応しく、そう呼んで差し障りないだろう。

ギャンブルが親子のコミュニケーションとなっている人の話をたまに聞く。
腐ったリンゴと同じ箱にあるリンゴは腐りやすくなるという例え話をよく聞くが、その例えを人間に当てはめなければいけない状況というのは、悲しいものである。


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プロフィール
1940年11月29日、東京都葛飾区柴又に生まれ、16才で家出し、20年後に腹違いの妹が暮らす故郷に帰って来た寅さんの本名は寅次郎である。