最後の一押しで嫌われる
今まで何度となくあったのが「一言多くて嫌われる」という経験だ。しかもその一言が的外れではなく、あまりにも正論過ぎる場合、相手から嫌われてしまうのだ。
人には「言いたいことはすべて言ってる」と公言しているけど、実はこれ嘘。
本当にそんなことすべて言っていたら、無駄な議論やはたまた罵り合いに追われ、他のことが出来なくなってしまうからだ。
本当は、言いたいことの半分も言っていない。半分は、我慢するか忘れるようにしている。
忘れるのは簡単なことだ。特に、相手が自分のこれからの人生と何らかの関わり合いを持っていない場合、一瞬で忘れられる。
しかし、自分と関係の強い人間だとそうはいかない。その瞬間忘れたとしても、次に顔を見たときには思い出してしまう。そうじゃなくても、次に議論になったときに、嫌でも思い出されるのだ。これらは我慢するしかない。
女性から出かけに「どっちの服がいい?」と聞かれたときは、素直に自分の意見を言ってはいけないよう、自分以外の人間に正論をぶつけてはいけない。
どうしても意見を言わなくてはならないときは、正論ではなく、当たり障りのないことを言えば良い。「何を当たり前のことを」と思うか「そんな卑怯なことをするなんて」と思うのかは、あなた次第である。
特にやってはいけない禁じ手を紹介しよう。それは過去の話をすることだ。
男というのは「後でやるから」「そのうち約束するから」と未来に物事を先延ばしするのが得意だ。
女性は逆に「あのとき約束してくれたでしょ!」「結婚する前、私に何て言ってたか覚えている?」と過去に遡るのが得意である。
男も必要なら過去に遡っても良いのだが、「いつまでそんな話をしているの?」「昔のことをぐずぐずするなんて男らしくないわね!」と言われてしまうのが関の山だ。
たとえそうは言われなかったとしても「それはあなたがそれよりも前にこういったからそうしたのよ!」とさらに過去に話が遡るだけの問題である。
冗談はさておき、過去のことというのは、ほとんどの人がうっすらと記憶に残っていてものだ。
だから、他人からそのときの失敗などを指摘されると、どうしても頭に血がいってしまいがちである。
過去のことは、もう起こってしまったことだ。起こってしまったことは、もう変えられない事実。
そのことを指摘されると、人間はどうしようもない。言い訳しても空しく響くだけ。だから腹が立つ。「そんなこと知っていたよ!」と、うっすら覚えていた嫌な記憶がよみがえる瞬間だ。
指摘された者は、時間が経ってから、なぜそのとき言ってくれなかったのか?と開き直るかもしれない。
その答えは「そのときも言っていた」あるいは「そのときはわかってくれなかったと思った」だ。それもまた事実だけに、頭には血が昇る一方だ。
だから、他人に正論をぶつけてはいけない。どうしても言いたいときは、過去の話を絡めてはいけない。どうせ議論するなら未来の話をしよう。
「これからはこうしたい」「今度はそうしよう」そういった建設的な話をいっぱいしよう。
もし相手が、自分の未来像の中にあなたという存在を含んでいなかったらどうするのか?そのときは、すぐに引き下がろう。謝ろう。その方が無難である。
もし1回でも、嫌われる一言を言ってしまった場合、相手の心は傷つき、二度とあなたに心を開いてくれなくなるかもしれない。
それでは、あなたが可哀想である。あなたは永遠に満たされない。コミュニケーションは一生成立しない。正しいことをしていると思ってはいけない。
何の見返りも期待せず、自分を犠牲にして、相手に正論をぶつけ続けるか?正しいと思った行為を続けるつもりか?
そのうち、満たされない欲望に己のコントロールを奪われてしまったあなたは、気づいたときにはストーカーとして逮捕されているかもしれない。
意見が通じない相手に無理を通すのはやめよう。正論は、胸の中にしまっておこう。
どうしても相手に伝えないことがあるとき、そのときは、そのせいで自分と相手との関係が途切れてしまうことを決心しなくてはならない。
我慢をすれば必ずストレスが溜まる。なぜ自分はこんなストレスを抱え込まないといけないのか悩むかもしれない。それは誰もが同情すべきことだ。
でも、だからとそれを相手にぶちまけてはならない。ストレスを感じるのは、あなたも、相手も、同じなのだ。
自分の一言が相手の為になると、そう勝手に思い上がってはならない。そういうあなたは、相手にとってもっともストレッサーな存在なのだから。







