ある病気のサイトから学んだこと、WWWに公開する意義
リンク禁止について(目次)を読み、わざわざこんなに多くの労力と言葉を尽くされたsci98さんに、同じくリンクを当然の権利だと考える人間として感服する。
これに触発されたわけではないし、内容はまったく関係ないけれど、1年前から感じている疑問を思い出したので、それを書こう。
1年前初めて、ネットで病気についての記録を書き残している人たちに遭遇した。
誤解のないように書くが、私はこんな病気です!あの病気かもしれないし、こっちの病気の疑いもあります!と「病気の宝石箱やぁ〜」と自慢する人はあまり見かけない。
しかし、上記の考えは厳密には誤りである。それについては後述するが、大多数の人は、自分のために自分の記録を残している。人にわかって欲しいという気持ちが、それをチラシの裏に書かず、WWWに公開した動機となっている。
確かに、そういう用途ではブログは向いているかもしれない。当初は「なるほどな」と読み進めていたが、どうもマイナーな世界なせいか、後になって理解できない価値観が蔓延していることに気づく。
もっとも困ったのが、あるサイトの特定のページにリンクしたときだった。そのサイトは単に自身の経験を書きつづっただけではなく、人の役に立つように形式でまとめられたものだ。
だからリンクしたのだけれど、すぐにメールで物言いがついた。そのページを管理している人が「リンクするのはやめてくれ、不愉快だ」と言って来たのである。
そこの管理人とはそこそこの交流があった。でも、最初は何が言いたいのかよくわからなかった。
返事を送ってみると、「私は嫌だ。みんなも嫌だと思う。だからやめてくれ」という主張上が、「扱っている対象がデリケートだから」という理由で説明された。
同時は何度このメールを読み返しても、「嫌だって言ったら嫌なの!」という意味にしか読めなかった。 *1
でも、その人がWWWに情報を公開している理由が、そのときやっと理解できた。
何の対価もなく、医療機関よりも多くの情報を公開して凄いなぁ、と思うのは、当時も今も変わりはない。
変わったのは「なぜ公開しているのだろう?」という理由についての解釈だけ。当時は、1人でも多くの人に知名度の低い病気について知って欲しく、情報を公開しているのだと思っていた。でも実際は、何も考えていなかった。
なるほど、と苦笑し、続けてお叱りを受けたときも、「だからその年になって結婚出来ないんだ!」など揚げ足もとらず、謝った。
この問題は私が全面的に悪い。何か目的があって行動している人間は、何も考えずただ毎日を消化している人間よりも圧倒的に少ない。それについて失念していた自分は、自分の価値観を他人に押しつける嫌な人間に感じられたと思う。
その人のブログを読んでいると検索エンジン対策・最適化の文字が目につく。アクセスアップのため・・・と書かれているページに書かれてあるページにリンクがされている。「少しでも多くの人に」という言葉も目につく。
最初からこの「多くの人」についての解釈が違っていたのだ。「多くの人」というのは、不特定多数という意味ではなく、自分について好意的な人間が1人でも多く、という意味だったのだ。*2
ルーズベネディクトというアメリカ人は、60年前に書いた本の中で「西洋は罪の文化、日本は恥の文化だ」と説明した。本音と建前のせいで、言いたいことが何1つも言えない民族だ。とも書かれていたが、それは的外れな批判だ。
日本は現代社会でも相変わらず本音と建前の国だ。西洋人が「禁じられているからしない」という態度をとるに対して、「恥ずかしいからしない」というのも、なかなか見た目の美しい文化ではないか。
「人の嫌がるリンクは恥ずかしいことだからやってはいけない。」
「『多くの人のために・・・』が建前。『自己満足のために』が本音。」
話は変わる。最近になり、そのデリケートな分野に、数々のアフィリエイトサイトが出来はじめた。
もともとこの分野では、「デリケート」という言葉を持ち出した人が、アフィリエイト・アドセンスの先駆者だったと思う。 *3
私はとあるアフィリエイトサイトを、同じ分野の個人サイトの中でも特出して運営歴が長く、同じURLを維持し、多くのサイトからリンクされている老舗サイトで知った。
なぜリンクするのだろうか? リンクしたらどうなるかわかっているのだろうか? 実際に質問してみたが、わかってはくれなかった。
次のGoogleインデックス更新で、そのアフィリエイトサイトは検索結果のトップに表示されるようになった。私が想像していた通りの結果だ。
数ある優良なサイトを出し抜き、医者に診せるよりも大々的にアヤシイ健康食品を勧めるサイトが、より多くの人の目に触れるようになったのだ。
さて、2つの例では、リンクについて纏わる問題から、私が知っているものを挙げたものだ。
前者は、一部の人が望まないリンクを嫌う典型的な例(だと思う)。後者は、リンクによって派生する問題から、検索エンジンの検索表示順の規則について触れた。個人が勝手にリンクしてものを、これまた勝手に解析して、違うものに利用する例があるのだ。
前者について触れると、今でも私はLinks and Law: Mythsをバイブルにしており、無断リンクも当然賛成だし、デリケート(笑)なる例外はあるものの、無断でリンクを張るという行為を繰り返している。
無断リンク禁止派についての意見は色々あるけれど、あまり相手にしてはならないのこと、何とかそれを利用してやる方法くらいしか頭にない。
いまWWWに情報を公開している人の多くは、何かの理由や信念、意見、動機等があって公開しているわけではない。*4 見る方も見る方で、何も考えず気軽に見ている。いや、友達のブログを仕方なく字面だけ追い、適当なコメントを残すことで見たフリをしている、という人も多いだろう。つまり、良い意味でも悪い意味でもその程度だ。
難しいことは読まない/書かない。自分に対して都合の良い情報しか読みたくない/書きたくない、というのも、両者に共通している姿勢だと思う。
電車の中で食事や化粧、いちゃつくなどのプラベートな行為をする人間が散見される世の中だ。
公の場でプライベートでデリケートな話をする、そういったものを大勢が見られるところに公開するというのもその程度の感覚なのかもしれない。それを見せられて不愉快に感じる人は、見なければいいし、逆に自分が不愉快に感じる相手には見て欲しくも広めて欲しくもないのか。
気持ちだけはわかるが、そういう問題なのだろうか?
*1 時間が経った今、読み返すと「嫌っつってんのが理解できないの?」という解釈が出来るまでに成長した。
*2 賞賛は欲しい。批判は目にも耳にもしたくない。という考えの人は多いし、それで普通だと思う。真理を探究するために人生をやっているのだはないのだから、正論よりも、自分が納得出来る偏った意見に満足したいと願っているのだ。
*3 自らのデリケートな体験を削ってお小遣い稼ぎをしているのだから、それを批判をするつもりはない。むしろ立派な姿勢だと思う。そんなことは考えずにそれをしているとしたら、もっと幸せだと思う。
*4 なぜか私に対しては「なぜ公開しているのですか?」という質問がしばしばなされ、そのたびに閉口してしまう。なぜ生きているんですか?と聞かれなかったことに満足しなければならないのかもしれないが。








なかなか おもしろい意見だと思い拝見させて頂きました 共感しました。
Comment by たけ — 2007年12月1日(土曜日) @ 14時06分08秒
こんにちは。太字の直前の記述に対する皮肉でしょうか?注釈4付近に対する挑戦でしょうか?(冗談ですよ。)
コメントありがとうございました。
Comment by etupirka — 2007年12月3日(月曜日) @ 00時36分40秒