TOP  >  言葉、屁理屈  >  最高の屁理屈をあなたへ! : 相対的な評価 by etupirka
あれ、打ち間違ってる?

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2007年4月2日(月曜日)

相対的な評価

カテゴリー: - etupirka @ 16時17分41秒

つまり(前の日から続いている)、「ウザい」という評価はそれほど相対的な評価なのだ。

ウザいか、ウザくないかは、自分の身の回りの、極限定された範囲だけを見て、その人の周囲にいる人たちと比較して評価・判断する。これは、寒い地方に住んでる人と暑い地方に住んでいる人の生活の違いより目に見えて明らかではないが、だが、その人が住む世界によってその基準はまったく異なるだろうし、また、細かいところを指摘していけば、そういった基準がぴたりと一致することは、まずあり得ない。逆の言葉で言えば、そういった基準が一致しているというのは、まず間違いなく当人同士が勝手に勘違いをしているか、もしくは片方のグループ・人間がもう片方に合わせている、またはごまかされているといったパターンのいずれかだと思う。

こういった裏では、人間の「無意識」な部分にある心理が働いているのだろう。つまり、多くの人が群れたがる側面を持つ一方で、同時に仲間うちでは閉鎖的な側面を持つ。自分たち仲良しグループに受け入れられない価値観は排除する。そういった「受け入れたくない」判断された価値観=ウザい、とある人間が判断し続ける限り、この「ウザい」という言葉はならくならないだろうし、また私がそういう言葉を安易に使う人間の存在自体やその周辺にあるもの全部ががウザいと思うことも変わらないだろう。

自分が正しいと思ったことをしても、相手からウザいと思われたり言われたとき。そういうときは自分のした行為を疑うより先に、自分の前の前にいる人間の価値観を疑った方が良いのかもしれない。どちらが間違っているか、正しいかは、この場合は問題ではないし、そんなものを探求したっていつまでも答えは出ないだろう。答えが出たとしても、それはどちらかが、あるいは両方が妥協しなくてはならない結果となるのだ。それに少なくとも、あなたにウザいと思った相手は、そういった努力をしてあなたと合わせることよりも、あなたの存在を排除することを優先的に考えている。彼らは人間は無限にいると思っているのだ、同時にその人間を捜していけば何もしなくても自分と合う人間が見つかると信じている。何の根拠もなしに。

こういった人間づきあいの仕方は虚しいな、と考える人がいるかもしれない。でも、その「虚しい」と思うこと自体が他人から「ウザい」と思われてしまう要因になりかねないので、十分に注意してくだしあ><


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プロフィール
1940年11月29日、東京都葛飾区柴又に生まれ、16才で家出し、20年後に腹違いの妹が暮らす故郷に帰って来た寅さんの本名は寅次郎である。