密かにあこがれたこと
その昔、密かにあこがれていたことがあった。あれは小学校六年生のときだったか。赤川次郎の自伝のような者が短編集の最後に掲載されていて(今思い返せば作家のファンでもない人にとってはそんなもの迷惑でしかないと思うのだが日記作家だからこそなせる技なのだろう)、その自伝を読んだのがきっかけだったと思う。いや、もっと前か。
まったく関係ないが、本に挟まっている新刊案内のようなもの、といって何のことか思い浮かぶだろうか。「今月の新刊」という見出しが躍る見開きの小冊子なのだが、この10年以上昔(私が見た当時よりも)のものに赤川次郎は「自伝のようもの者は書きたくない」と書いていたのだった。え、いや、書いてるじゃん!
さて・・・(ちょっと疲れている)。私があこがれていたのは誰かと交換で小説を書くことだった。
あれは中学校一年生の時だったか、交換で日記を書いたことがあった。好きな人とかそういうものではなく、出席番号の近い友達同士で男女ごちゃ混ぜだった。メンバーは私の他に4人で男女比は2:3。そのメンバー中の女とも男とも今では疎遠になっているが、当時はまぁあれが楽しかったのだと思う。
小学校六年生の夏休みだったか。小説モドキのようなものを書くために色々頑張っていた思い出がある。あのときは一週間に17冊という尋常じゃない読書量を誇っていたし、集中力もぴかいちだったと思う。でもあのときは自分のストーリー構成や発想の貧弱さにすぐ飽きてしまった。書くよりも読んでいる方が断然楽しかったのだ。
その後二学期の学校の授業で「創作してみよう」みたいな陳腐な教材が国語の教科書にあった。さて、私はどんな話を書いたのだっけか・・・。だいたい原稿用紙数枚で話を簡潔させないといけない、というのが難しかった。なんども習作を書き殴った末に提出したものは、あぁうん、思い出したくないです。あのときは楽しかったなぁ。。。と2秒間だけだけ遠い目でいさせて。
話は飛んで中学二年生。クラス替えで小学校中学年のときの友達と一緒になった。彼はパパが社長のおぼっちまんクンで、典型的な過保護ママに育てられていたのだが、その当時からママには反抗心が芽生えてたらしく、さらにその反抗心はいけないものであると本人が強い自覚をしており、常に心の葛藤に苦しんでいた。風の噂によると彼は今・・・いや、いい、そんな話ではない。
話をしているとなんと彼はワープロで小説を書いていると言う。私は中一の最後に同級生の本名を出した小説を書き、その同級生の性格を歪ませてしまった(ちなみにその歪みはそれ以降の彼の人生に大きく響いたと思う)という過去を持っていたのだが、私は自分のことは隠して、そして彼の小説を見せてしまった。内容はよく覚えていないが(ので)、おもしろくはなかったと思う(おもしろかったら覚えている)。ところどころ話が飛躍していて、お世辞にも上手とは言えなかったが、カンペキ秀才&金持ちクンの欠点を知ってしまった感じがして申し訳なかったので、「おもしろかったよ」とウソをついた。その後私は彼の誘いで同じ部活に入部する。
その部活の引退後。小学校の時に冗談とか悪口を言いながら授業で小説モドキを書いていた友達と非常に仲良くなった。確か同じ塾に通ったのがきっかけだったか。いや、そんなもの私たちの間ではどうでもよかった。彼とは書簡のようなものを交換し合っていたのだが、中学卒業後、その後は連絡が途絶えてしまった。
そして私は、中学卒業後からは創作とは縁のない生活をしている。何かを書いているとすればこのブログだけなのだが、読んでの通り創作とはほど遠い。
去年の夏に知り合った女性の話なのだが、彼女は中学生の時に当時付き合っていた男性と交換小説のようなことをしていたらしい。羨ましいのかキモチワルイのか判断に苦しむが、私なら喜んでしたと思うし、予想通り三日坊主で終わったと思う。でも、そう、それが一つの情報や意志交換のようなものになっていたらしく、そういった側面が交換小説にあることに驚き、それにやっぱり嬉しかった。
小説といっても所詮知ろうとが書くものだ。ファンタージか、もしくは私小説のようなものになる。私小説なら、読み手は書き手の過去や思想に触れることが出来たりするわけだ。なるほどね。
自分の意見を心の中にしまってしまう彼女なら、まぁ幸せだったんだろうな。
今は小説なんて死んでも書きたくない。書くとしたら、詩か・・・。いや、今はCやPHPのコードを書いている方が楽しい。
小説を書いて生活が出来るなんて楽しいだろうな、小説家になりたいな。。なんて純粋なことを考えていた頃の自分がちょっぴり羨ましい。小説じゃ飯は食えないけど。







